1章1-22      2012.6.7 

テーマ:私たちはイエスの血により罪ゆるされたが、これは神の恵   みによるのです。(7) 

はじめに  

エフェソの信徒への手紙をはじめ、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙、これら4つの手紙は、パウロが獄中で書かれた手紙であるので「獄中書簡」と言われている。エフェソ宛になっていますが、手紙の構成も一般的、原理的なことが書かれ、エフェソの具体的なことがないことから、小アジアの諸教会で朗読された回状された手紙であろうと言われています。そのことはコロサイの信徒への手紙(4:16)にも記されています。  

1-2 挨拶と自己紹介 

 この短い挨拶の中で、パウロは3回も「キリスト・イエス」を繰り返しています。それはエフェソの人達に、「私もあなた方も共にキリスト・イエスとの関係に置いて結ばれている。 それはキリスト・イエスが日常生活で基盤であるということをまず意識しなさい」ということを強調します。 

私たちイエスを信じる者は、キリスト・イエスに結ばれるから兄弟姉妹です。ただ単に仲がいいのではなく、信仰生活は、イエスキリストにより根差し、イエスキリストに基礎を置いています。キリスト・イエスを生活の中心に据えることの大切さを、改めて認識したいと思います。 

3-14 神の恵みはキリストにおいて現れる 

 キリスト教信仰の神髄が述べられています。神はキリストを通し、私たちを祝福されました。その大きさたるや、我々には計り知 

れないほどの大きさです。神の子としようと天地創造の前から私たちを愛され、御心のままに私達を選ばれました。

 

 

 

 

 それは何故でしょうか? 神の御子イエスから頂く恵みを私たちが称えるためです。(6) 

と言いますのも、私たちは御子イエスにより、私たちの身代わりとなり命を捧げ、その時流された血により罪が赦されたからです。(7)この地上でただ一人、罪と全く縁のないイエスが死んでくださり、罪まみれの私たちが、今このように生かされている、この恵みを称えるためです。 

 1章の最も大切な言葉は、「祝福」ではないかと思います。祈りでよくお聞きします。「神様の祝福が有りますよう祈ります!」と。「祝福」とは、最も価値あるものを相手に渡すことです。神様は最も大切にされた一人子イエスをこの世にお遣わしになり、私たちの罪を赦してくださいました。 

 遺族や友人は、亡くなった親、配偶者等が生前、大事にしていた物を形見・遺品として、故人を忍びつつ、大事にします。亡くなった本人も頂いた人たちも、形見が励ましになりますし、忘れずにいつまでも心の中に居るからです。  

■むすびとして  

パウロはエフェソの信徒に、「神は、私たちを、天地創造の前から愛され、キリストによって御子となるよう選ばれました。神が御子を通し与えてくださった恵=私たちが犯し続ける罪を血により買い取られ赦してくださいました。その恵を称え感謝しよう。」のメッセージを送りました。 私たちも、これからも日曜日を聖なる日とし、聖別して主日礼拝を守りましょう。日常生活の雑念を排し、心を静め、神様、イエスを迎えることのできるよう心を整え礼拝に集いましょう。