2章1-22     2012.6.14

 はじめに 

 テーマ:十字架により敵意を滅ぼされた(16) 

1-10 あなたがたが救われたのは神の賜物

  以前あなた方は、この世に働くサタンに従い、過ちと罪を犯しながら生活してきました。それは自分本位で争いや破壊の世界であり、平和の道を知りません。 

しかし、神は、この世にキリスト・イエスを送ってくださり、あなた方は、恵みにより、信仰により救われました。これは、罪だらけのあなたがたをイエスの十字架によって赦され、救われました。自分の頑張り、努力の結果でなく、それは、神の一方的な恵み、プレゼントによるものです。 

信仰の世界は、人と比較したり、競争したり、優劣を付ける世界ではありません。神からその人その人に与えられた個性を尊重しつつ、皆で支え合い、イエスと共に生活する世界です。自分を誇り、傲慢に陥らないよう、誰もが高ぶる弱さを持ち合わせていますが、そうならないよう常に反省を求められています。  

 何といっても人は社会的動物です。人類の歴史が始まって以来、言葉を持ち知恵を授かった人類は、延々と文化的な営みを築いて来ました。「人」と言う字は、斜めに倒れそうな一人の人ともう一人の倒れそうな人とが支え合って「人」という字ができたと言われます。その支え会う間にできた空間に生きる人が複数存在して、初めて人が人間になると言われています。ですから、人と人間は少し意味合いが違います。支え合う人々の空間が、人間社会を形成し、その中で初めて文化的、精神的営みができるということです。人は、支え合う社会の中で初めて生きていけます。ですから社会の営みは、人にとり大切です。 

11-22 キリストにおいて一つ 

以前、あなた方エフェソの人達は、異邦人であり、割礼のない者、キリストとかかわりがありませんでした。イスラエルの民に属しませんでした。契約を結ばず、希望を持たず、神を知りませんでした。しかし、今や、キリストの血=十字架により、キリスト・イエスの近くで生活する者となりました。キリストは平和の人です。2つを1つにします。 

イエスが十字架上で流された血により、壁が取り壊わされ、律法が廃棄され、新しい人間に造りかえられ、平和を実現してくださり、人と人とを和解させ、敵意を滅ぼされ、福音を告げられました。

 

 

 

 

イエスは神の一人子でありながら、人間の形になりこの世に誕生しました。そして、律法を重んじるユダヤ教の一派のパリサイ派の人々、律法学者、長老たちから、イエスの教えは受け入れられないと拒否され続け、十字架に架かり御国へ帰られました。このことはこの世に誕生された時からご自身の運命であると知っておられました。肉を持ってこの世に現れ、血を流し、命を失うことを通してユダヤ人、異邦人の隔ての壁を壊され、地上から姿を消されました。 

従って今や、エフェソにおられるあなた方は、外国人でも寄留者でもなく、聖なる家族、神の家族に属する者です。聖なる神の家は、使徒や預言者の上に建てられました。家の基礎=要石はキリスト・イエスです。 

 ここでパウロは何を伝えようとしているのでしょうか? 区別しない、差をつけない、違いを意識しない大切さを伝えています。キリスト・イエス=救い主イエスによって一つとなる、共に生きる、苦しみ、悲しみを共有することが出来ることを伝えています。 

■むすびとして 

 今日の学びから、心にとどめておきたい事、それは「イエスの十字架により敵意を無くす」(16)ことです。敵意は人を恐れる気持と表裏一体です。ですから、常に「人を恐れず、神を畏れる」気持ちを持つことです。私たちは初対面の人、あるいは相手のちょっとした腑に落ちない言葉、行動に対し、気を使いすぎる傾向があります。 

縁あって巡り合うことのできた目の前の兄弟姉妹も同じ神様、イエスキリストを信じる仲間です。たとえ信仰がない人でも神様によりこの世に生を受け、縁あって今の時代を共に生きている人です。目の前の人を受け入れることのできない者は、神も決して受け入れてくれません。その傲慢な心を神様は見逃しません。 

すべての人の心の内にある罪を贖い、血を流された十字架上のイエスを思い浮かべ、その前で、一人静かに頭を下げ、人を恐れない勇気、素直で低い心を与えてくださいと祈ることが、敵意という隔ての壁を取り壊す唯一の道と信じます。