5章21-6章24  2012.7.12                               
                  西澤 正文
テーマ:主に依り頼み、その偉大な力によって強く なりなさい(10) 
 夫婦、親子、主人と奴隷、これら3組の人間関係の基本は、全てキリストが基準です。単純にしてはっきりしています。しかし、それだから忘れやすく、いつの間にかほったらかしたり、キリストではなく自分自身が基準となったり、主人公になっています。
 キリストは教会を愛されました。また「キリストが教会の頭」ですので、キリストが私たちの清水聖書集会の頭です。このキリストと私たちとの関係が、夫婦の原型です。「妻たち、主に仕えるように夫に仕えなさい」(22)とあります。世の一般的な愛は、愛してくれれば愛するという受動的な面があります。しかし、愛の関係が生まれるには、最初に、誰かが能動的に仕えることをしなければなりません。受け身では愛が生まれません! 
 挨拶を例に取れば、「こんにちは」「おはよう」と言った挨拶でも、相手が言ったら、私も言おうというのなら、いつまで経ってもあいさつできません。
 挨拶を交わすことは小さなことですが、相手の人も嬉しい気持になります。挨拶は相手方に「私の心は開いています」と伝えています。
愛の交わりは、誰かが先に仕えること=愛することにより生まれます。愛の歯車が回り出します。愛された人は、相手を愛する人になります。相手の反応を見て決めよう、それではいつまでたっても心の窓を開けることはできません。
 広い視点から教会全体を考えますと、そこに集まる人は、教会全体の一部です。夫婦であっても、夫婦でなくても、集まる一人一人は、全体の一部と言うことです。教会は、夫婦が妻、夫を愛するように、お互いに愛し合うようにならなければなりませ

ん。なぜならキリストが教会の頭だからです。パウ 

 

 

ロは主人と奴隷の関係でも、はっきりとキリストに従うようにと言っています。パウロ自身回心して以来、キリスト・イエスの奴隷になりました。パウロの「私・パウロに倣いなさい」のメッセージが聞こえて来るようです。
 パウロは、夫婦の関係の最後で教会全体に、子供のしつけの最後で大人に、奴隷の最後でその主人に触れます。部分からその上の人に、さらに主・キリストに繋げます。それは、すべて「キリストが基準」であること示しています。
 「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」(10) 主、キリストに寄り頼み、その偉大な力によって強くなれ、とあります。自分自身を鍛え自分を強くして、ではありません。そうではなく、神、キリストに依り頼むことです。キリストの力を信頼し、より頼むことです。私たち自身の信仰を今よりももっともっと強くもちなさい、強い信仰を持ちなさいということです。
 パウロは、最後に(11節13節)「神の武具」を身につけなさいと言われます。今よりももっと強い信仰を持って誘惑に備えなさい、誘惑に負けるな、という励ましです。キリストの真理、キリストの正義、キリストの平和、それらすべてを包むのが信仰です。この信仰を強く持ち、サタンの誘惑を跳ね除けなさい、と励まします。パウロは、以前訪問した時に自らの手で作られたエフェソ教会、その人々を如何に愛されているかが伝わってきます。
□結びとして 
私たちの教会は小さな群れですので、人々に色々なことはできませんが、祈ることはできます。神は、私達に人のために祈りなさい、と言っています。この小さな群れが、神の御用をしているということは何と素晴らしいことでしょうか。人々のために、心を込めて神に祈れば、神はその祈りを執り成しの祈りとして用いてくださいます。