コリントの信徒への手紙Ⅰ14:1-40          2017.7.16
テーマ:異言でなく、預言を熱心に求めなさい(1)
 13章では、愛の重要さを説くパウロは、ここでは、12章の問題に立帰り、コリント教会を悩ました異言の賜物について語る。パウロは預言の賜物と比較して、劣っている、とはっきり表明する。その理由のひとつは、教会の機能、質、品格を高められない事(2-19)、もう一つは、未信者を躓かせる事(20-25)であると。
▢1-5 異言と預言の違い
 異言は、神に向かい霊によって神秘を語るが、内容は誰も理解できない。預言は、人に向かい語り理解される。人、教会を造り、励まし慰める。異言を語るに越したことはないが、それ以上に預言を語ることが出来ることが望ましい。
▢6-19 1万の異言より5つの預言を語れ
 意味の解らない言葉は、話し手も聞きても異邦人になってしまう。教会内では、教会に来て間もない人のために、1万の異言より5つの預言を語る方を選ぶ。パウロはロマ書でも、信仰的に弱い人を大切にするよう説く。「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。」と。(ロマ14:1-3)集会(教会)は、未信者、初心者の立場に立ち、目線を低く、腰を低く、そして心をも低くし、謙遜を忘れず、弱い人と共に、集会(教会)を開くことが大切である。
▢20-25 異言は未信者の躓
 コリントの信徒は、自尊心がありながら、また、悪事には大人の様に分別がありながら、物事の判断は、不完全であつた。その結果、異言があまり有用でないことを知りながらも、その華々しさのためこれを重んじた。パウロは、これを戒めるため、痛烈に語った。
▢26-40 平和の神にふさわしい教会を
 異言を語ることでなく、預言することを熱心に求めなさい。異言を語ることは禁止していないが、全て適切に秩序正しく行いなさい。
▢まとめとして
・預言を求めなさい。異言は誰にも分からないから。そして、預言は、人を、教会を造り、励まし、慰めてくださるから。
・集会(教会)は、信者が共に、神を賛美し、感謝し、祈りをささげる場所であり、また、 御言葉をお聴きし、新たな心、謙遜な心にして

 いただき、信仰から信仰へと前進する集合体である。従って、信者同志は、共に支え合い、励まし合いながら、皆が協力し合い信仰生活を

 送る信徒の集まりとして育てていきましょう。
・キリスト教の礼拝で重要なのは外面的な事ではない。年齢、性別、職業、富の有無等、は関係ない。また、礼拝の時に、座る、立つ、ひれ

 伏すとか、大きな声で歌うとか、子供の参加はいけない、等々の礼拝の外面的な姿勢は、それぞれの教会で決めるべき事です。一番大切な

 のは私たちが、神を霊とまことをもって礼拝する事。その為にも、礼拝開始前しばらく私語を慎み、黙想する時間を持ち、礼拝の場が聖霊

 に包まれるよう準備したい。また、適宜、参加者の状況に見合う集会の在り方、持ち方を検討することが必要であろう。