コリントの信徒への手紙Ⅰ4:1-21               2017.4.16
テーマ:使徒の使命
1-5 忠実な管理者である使徒・パウロ
 「こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。」(1-2) 人は、私たち使徒がキリストに下働きする僕と、神の秘められた計画(=異邦人を含めた全イスラエル人が救われるということ)を委ねられた管理者と考えるべきである。この場合管理者は忠実であることが要求される。ただ一つ、神に対してトコトン忠実であることが要求される。パウロは、徹底して神の僕であり、御計画を委ねられた管理者に徹していた。パウロの心は、全て神の御計画で満ち満ちており、この世の人々の関心、風評など一切無関心であった。自身についての評価は、天国に行ってからのこと、神から直接お聴きすること、このような考えで整理されていた。この世において、神、イエスキリストに仕える僕に徹して生きること、人生の進路は決定済であり、一点の曇りもなかった。
6-13 この世の使徒の生き様
 「わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。」(10-13)  
 人は、皆神の前にあって小さき者、弱い者、土の器、被造物である。このことを忘れ人と比較し、優劣をつけ、挙句の果てに、有力と思われる人の徒党に組し、分派、争うを招く。現在のコリント教会がその様相を呈し、醜い争いが絶えない。人を見ず、飽くまで神のみを見詰め、御前に進み出て、人間の弱さ、罪深き者であることを忘れずにいなければいけない、パウロはこのように訴える。実際のこの世の生き様は、使徒であるにもかかわらず、この世に人達は、神を見ず、力の有る人に群れ、意気揚々と生活している人々に反し、食べ物に不自由し、身を寄せる所もなく、心身共に安心できる場所がない。侮辱、迫害の連続の日々を送っている。このような辛い生活であるが、それが使徒の使命と受け止め、前進あるのみと神を慕い続けている。
14-21 パウロの願い-私に倣いなさいー
 「キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。」 パウロは、福音を述べ伝え続け、コリントの町に信徒を生み出した父である、との自負がった。その後、彼らを教育指導する人は多数現れたが、生みの親は私以外にいないとの思いがあった。多くの犠牲を払い、身を粉にして働いて来たという他の人に負けない自信があった。私パウロに倣うことは、固く福音に立って生きると言うこと、このことを分かってほしい党委切なる願いがあったのである。正に親心、父親としての思いからである。
▢むすびに代えて
 神を見ず、人ばかりを見れば、必然的に人を裁く気持ちが湧いて来る。また、人にばかり心を奪われれば、私たちの創造主であられる神の姿がボンヤリ霞みかかってしまう。パウロに倣い、人を裁かず、只々謙遜に、また忍耐を重ねた生涯を送ることが、コリント教会の分離を止める唯一の方法である。
それはまた、現在の私たちキリスト者へのメッセージとして受け止めなければいけない。