コリントの信徒への手紙Ⅱ5:1-21               2017.10.22

 

テーマ:使徒は、神と和解のために奉仕する(18)

 

・イエスは、全ての人のために死なれた。それは、生きている現在の私たちが、最早、自分のためでなく、身代わりに死んで復活された方、復活されたイエスキリストに喜ばれるように生きるためです。従って、今後は、だれをも肉、つまり、この世の生活上にまつわる事柄によって、知ることはしない。以前は、キリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をしない。キリストは、全ての人の身代わりとなり、肉において死なれた。今後は、人をその肉の面(この世にまつわる事柄)から見ることをやめよう。人の身分、財産、知識、学歴はもちろんのこと、人の罪、欠点など、過去の履歴経歴一切を無視する。これ等は皆キリストと共に死んだのだから。 

 

・キリストと結びついている者は、新しく生まれた人です。古いものは消え失せて、いまここに、新しく生まれ変わったのです。キリスト者はイエス・キリストに命を明け渡したのです。自分が至らなかった、と心の中を覗き続ける人でない。心を覗いても何も生まれてきません。全て神様にお任せ!の切り替えが必要です。  

 

・すべてのことは、神の恩恵によります。神は、キリストによってわたし達人類を御自身と和解させ、わたし達使徒に、この解の福音を伝える役目をお与えになりました。キリストによって、この世をご自身に和解させ、その罪の責任を人に負わせることをせず、人類と和解するため、その任務、つまり福音を述べ伝えることを、私たち使徒に委ねられたのです。

 

・神は、罪とは無縁の方イエスを、わたし達の身代りに十字架につけ、罪に定められました。わたし達がこの方によって、神から罪を赦され、救いをいただくためです。  

 

■まとめとして

 

キリスト者の犯した罪は、神の前に赦されている。しかし、天国においてこれら全てが忘れられることではない。例え小さな罪でも、神に記憶されている。同じキリスト者でも、この世での善行・悪行により、それぞれに相応しい賞罰を受けます。(10

 

神は、私たちの犯した罪を全て赦され、ただ神より適切な罰を与えられます。だからと言って、心の平安を失うことを心配せず、神に知られる罪を何時までも恥じる必要はありません。キリストを信じる者として、大胆に、正直に、誠実に、罪を告白することが大切です。「和解」を願っておられる神だからです。(20)