コリントの信徒への手紙Ⅱ8:1-24           2017.11.19
 パウロは、7章まで、自己弁明と使徒の使命を述べた。8章9章では、施し(献金)について話す。施しについてはⅠコリ16:1以下で取
り上げ、更にその後の状況をまとめた。             
テーマ:主は豊であったのに、あなたがたのために貧しくなられた(9)
・マケドニア諸教会は、極貧の経済状態の中にあっても、歓びに満たされていた。その喜びは、神からあふれるばかりの御恵みを頂いている

 実感があった そこから大らかな気持ちが生まれた。マケドニアの諸教会が、如何に神の恩恵を受けていたかの証しでもあたった。
・パウロは、言った。信仰も、御言葉も、知識も、熱心も、愛も、溢れるほど沢山いただいているので、貧しい人、小な人に、恵み(献金)

 をさし上げて頂きたい。ギブ&テイクの関係を保つことを願った。
・それと言うのも、マケドニアの信徒の奮闘努力の例を示して、コリントの信徒が本当の愛をもっているか、いないかを、知りたかったので

 ある。本当の愛があるならば、慈善の行為は自ら生まれてくる、との考えがあった。
・パウロは話す。あなた方は、わたし達の主イエス・キリストの恩恵を知っているではないか。イエスは、神の子として富んでおられたの

 に、あなた達のために人間となり、貧しくなられた。それはイエスの貧しさによってあなた達が富むためである。「キリストは、神の身分

 でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられまし

 た。」(フィリピ2:6-7)
・知識欲旺盛な人、熱心に聖書を読む人、礼拝に通い先生の聖書の話を熱心に聞く人、このような人は、一つでも二つでも新しい知識を吸収

 したい、また、細かな聖書知識をトコトン身につけたい人であり、自分の信仰確立に終始する。これでは、たとえ立派な信仰を持ったとし

 ても、いつまでたっても、受身である。他の人々に与えようとする姿勢はない。恩恵を頂いているという実感がなく、頭だけの信仰と思わ

 れても仕方ない。
・イエスは、この世に降誕され、人々が暮らす社会の中で、共に約34年間過ごされた。そして喜び、悲しみ、苦しみを共にした。最後は自

 分自身を捧げた。「主は豊であったのに、あなたがたのために貧しくなられた」(9)のみ言葉通りに生きられた。
🔲まとめとして
 私たちは、熱心に聖書を読み、お話をお聞きし、キリスト教関係の書物、伝道誌などを通し、キリスト教の真理を頭に詰め込んでいる。この熱心さに比べると、施しがあまり熱心でない。マケドニアの諸教会、コリントの教会に倣って、ほんの少しでいい、信徒へ具体的な施しができるように、と切に祈っていきたい。