コリントの信徒への手紙Ⅱ9:1-15               2017.11.26
テーマ:喜んで与える人を神は愛してくださる(7)
 人に施しをする時、注意したいことが、三つあります。第一に、不承不承の気持ちでしてはいけません。惜しむことなく、喜びの心をもってことが大切です。第二に、人から強制されてすることを避けたいものです。周りの事情や人の勧めにより、強いられ、止むを得ずすることは施しの趣旨・目的に反します。第三に、自分自身の心の決めたままに、心に苦痛なく、自由に、決定した通りに施すことが大切です。このことは施しの根本です。
 イエスは、施しの注意点をはっきり説いています。「「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。」(マタイ6:1) 
 毎年暮になると、季節の風物詩の如く、多くの人が行き交う繁華街で、また、地域の隣組
や職場で募金が行われます。この募金で恵まれない人々を支援し、少しでも明るい気持ちで新年を迎えられるようにしよう、との助け合い精神により続けられています。暗いニュースが多くなった今日であるが、どっこい世の中、捨てたものではないぞ、そんな気持ちとなり心が温まります。
🔲まとめとして
施しの大切さは、献金の額でなく、自らが決めた自主的な行動です。募金活動の場合、額の多さを誇り、その量により成功と考えることが多いです。しかし、信仰的に考えれば、この考えは良くありません。たとえ、外見が慈善事業でも、内容がどんなものかにより、神の前で、大きな差がある事を忘れてはなりません。献金は、額を捧げるのではなく、心を捧げることです。御子イエス・キリストの十字架の恩恵に対する私たちの感謝の気持ちであります。まず私たちを愛してくださった神に対し、心を、精神を、力を、思いを尽くし応えたいと願う私たちの感謝の行為です。この心がなければ、どんなに多くささげても献金そのものの意味はありません。
※昨日(11月25日)のラジオから流れた美談の紹介
 アメリカの出来事です。あるドライバーがガス欠となってしまいました。運悪く、手持ち金はゼロでした。そこに、心配したホームレスの青年がやって来ました。この青年は、手持金(全財産)20ドルを持っていて、惜しみなく全額をドライバーに渡しました。ドライバーは、ガソリンを補給し家に帰ることが出来ました。余程嬉しかったでしょう、直ぐネットで、ホームレスであり失業中の青年に救われたことを伝えました。この青年の行動に感激した全米のリスナーから、総額4,000万円の献金が寄せられたとの事です。この献金により青年は、家を購入し、ホームレス生活に終止符を打ち、現在、腰を落ち着けて就職活動に励んでいます、との話をお聞きすることが出来ました。さすがキリスト教の国・アメリカと思いました。この美談の中心は、今日の講話の中心、自身の厳しい生活状況を顧みず、目の前に困ったドライバーに全てを捧げた潔く、純粋な青年の心でした。