テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5:1-28 

              2020.10.25 西澤正文
テーマ:喜び、祈り、感謝しなさい(16-18)
 手紙の最後にあたり、パウロはテサロニケ教会の信者たちへ心温まる優しい言葉を残された。あなた方を導かれる指導者を大切にしなさい、尊敬しなさい。兄弟姉妹、互いに平和でいなさい。怠けている者がいたら戒めなさい。気落ちしている者、元気のない者がいたら励ましの言葉を掛けなさい。弱い者を助けなさい。すべての人に忍耐をもって交わりなさい。すべての人に対し、悪を悪で返さず、善を行うように努めなさい。兄弟姉妹同士で、助け合い励まし合いなさいと告げました。
 そして、最も伝えたい大切な言葉は次の三つです。いつも喜んでいなさい。(16) 絶えず(いつも)祈りなさい。(17) どんなことも感謝しなさい。(18) 分かり易く短い言葉で区切って書かれています。このことからも喜び、祈り、感謝は、深い言葉、大切な言葉であるか、パウロの気持ちが伝わってきます。
①喜びとは何か? 恵みを頂いた喜びです。その恵みとは何か? イエスのこの世の誕生、イエスそのものです。イエスは私たちの罪を赦してくださった。そして罪を赦す代わりに、御自身が十字架に上られ死んでくださった。
では、私たちの罪とは何か? ヨハネ福音書冒頭に「初めに言葉があった。言葉は神であった。」とあります。言葉は神そのものであると。言葉についてヤコブの手紙が伝えています。人は完全な言葉を用いて話せないと。
「言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。」(2)
「舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。」(5)
「舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。」(8)

 

 私も振り返れば、あ~ああんなこと言ってしまった、しっかり言ったつもりが、上手く伝わらなかった、と思うことがよくあります。
ですから、人間である以上、誰もが、言葉により罪を犯していると言えます。
では、犯した罪の代償は何でしょうか? 罪についてヘブライ人への手紙に書かれています。「血を流すことなしには罪の赦しはあり得ないのです。」(ヘブライ人への手紙9:22) 私の、あなたの罪は、イエスの血により赦されたのです。イエスの血により命が助かった、命拾いしたのです。イエスそのものが恵みであり喜びです。このことを除いて他にどんな喜びがあるのでしょうか!
②祈り、③感謝とは何か? 以前、島根県愛真高校創設者・高橋三郎先生が、礼拝の最後に祈りをささげる時、毎回「感謝します」といわれましたが、そのことが強く印象に残っています。祈りは神への感謝、ありがとうです。今、生かされていることに感謝、一日の食べ物を頂き感謝、今日一日健康な体を与えられ生活でき感謝…。    
最近、墓地に行く機会がありました。「ありがとう」「感謝」の言葉が墓石に多く刻まれているのを知り大変驚きました。天国へ帰る者の今までお世話になった気持ちを伝えたい、そんな思いが伝わって来て、理屈抜きに感謝は素晴らしいと思いました。人によって恥ずかしがり屋で言えない人もいるでしょう。しかし感謝されありがとう、を言われれば誰も気持ちいいものです。喜びと祈り、感謝は神と信者を結ぶもの、人間関係を平和にするものと思います。
▢むすびにかえて
「主を喜ぶ」この言葉は、主・イエスキリストの存在そのものが恵みであり命の恩人であるその方を喜ぶと言うことです。喜びは感謝の言葉となり、また、感謝は祈りとなります。喜び、感謝、祈りに溢れた生活が送られますように切に願っています。