テサロニケの信徒への手紙Ⅱ2:1-17 

                2020.11.8 西澤正文
 再臨について第一の手紙では、次のように記されている。「兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。」(テサロニケ信徒への手紙Ⅰ 5:1-3) パウロは、このテサロニケの第1の手紙を書いた当時、生きている間に、間もなく主イエスの来臨を迎えると信じていた、と言われている。
パウロの突然やって来る再臨の話を聞き、動揺し、慌てふためく人々が現れました。この人たちに対し、パウロは警告を示しました。「霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。」(同2:2:3) それと言うのも、教会の信者たちはこれを誤解し、主の来臨に備えるためには、あらゆる仕事を止めて不安と緊張の内にひたすら主を待ち望むほかないと考えた人がいたからです。
第二の手紙 パウロは誤解を訂正するために第二の手紙を書かざるを得なかったのです。 
  再臨の前に、色々な出来事が起こって、主の来臨はその後になると告げました。「だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり滅びの子が出現しなければならないからです。」(同2:3) だから、落ち着いて自分の仕

 

 

事を続けなさいというのです。
 ところでイエスは、マタイによる福音書25章で再臨(来臨)について3つのたとえを語っています。

 ①主人が使用人に、子供たちの食事の世話、家の中の管理を任せ外出し、突然帰って来た時、留守中の仕事が忠実であったか、不忠実であったか、裁きました。 
 ②婚礼の席に招かれるために乙女10人は、夜通し声のかかるのを待ち続けました。夜中に突然花婿が現れた時、準備万端のともし火と油の両方を用意した5人だけが会場に入ることが出来ました。残りの5人の乙女は、準備不足で入れませんでした。

 ③主人は僕たちに能力に応じてタラントンを預けて旅に出掛けられた。外出中、忠実に働き、預かったタラントを活かしもうけた僕、儲けなかった僕の差が明らかとなり、不忠実な僕はタラントンを没収されてしまいました。
 イエスは、これ等のたとえを通し、最後の裁きが行われるまで、牧草地でのんびりと草を食べる羊と山羊が、時が来ればいずれ種分けされるように、わたしたちが再臨の時に裁かれる基準は、日々の生活の中で、どれほど最も小さい者たちを愛されたかによる、これのみが主の再臨の時の唯一の基準といっています。


▢むすび
 東南海沖地震がやって来ると言われて久しい。また、新型コロナウィルス感染の不安が募る今日にあって、如何に平安に過ごすことが出来るか、わたしたちの信仰が試されています。こんな時だからこそ、再臨をはじめ色々な艱難に遭おうとも、日々、主の御言葉に忠実に歩むことがわたしたちの道です。