テモテへの手紙Ⅰ3:1-16  2020.12.13

                  西澤 正文
 テモテへの手紙が書かれたのは63年頃と言われています。イエスが十字架に架けられたのが30年頃ですから、かなり時が立ってこの手紙が書かれたのです。当時、既に教会の組織化、制度化が進んでいました。監督や奉仕者(事務方)等、教会の役割が生まれてきました。その中での問題を取り上げたのが3章です。
 テモテは、パウロに信頼され息子のように愛がられました。やがてテモテをエフェソの教会の指導を一手に任せるようになりました。しかしテモテは、年若く責任ある立場に置くとそれなりの苦労もありました。そうしたことを思いやり、父親のような優しさで指導者としてのあり方を教えました。3章は、パウロは、教会の3つの職、監督、奉仕者、婦人の奉仕者についてガイドラインを示しました。
先ず監督の資質です。非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができ、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、家庭を治め、常に品位を保って子供を素直な者に育てる人でなければなりません。エフェソの地は異邦の地でありキリスト信者が少ないことを踏まえ、パウロは、キリスト教信者仲間のみならず、キリスト教を信じない人、信じない異教国を蔑視しない態度を大事にしました。また、キリスト教以外の社会・国にも道徳があって尊重すべきものと考えました。監督たる人は、それら異教

 

 

国の人々にもよい評判の人でなければならないと言うことです。評判が悪ければ、誹謗を受けサタンの罠となってしまうからです。そうすれば教会の分裂に陥ることになるからです。                      次に奉仕者(事務方)です。奉仕者も、品位を持ち、二枚舌を使わず=うそを言わず(相手を見て発言する人)、大酒を飲まず、汚い金儲けをせず、清い良心をもって、信仰の奥義を持っている人でなければなりません。監督同様に、先ず、これらのことをよく調べた上で少しも非難すべきところがなければ奉仕者の仕事に就かせるべきです、と言う注意です。婦人の奉仕者も同様に、品位を失わず、人の悪口を言わず、真面目で、何事につけ忠実でなければなりません。奉仕者たる者は、一人の妻の夫で、子供たちと自分の家をよく納めなければなりません。良い奉仕者は、教会で良き地位とキリスト・イエスに対する信仰による大いなる確信を得るようになるからです。
▢むすびにかえて
要は、教会の監督、奉仕者に就く人に必要なものは、確固とした信仰を持っているかどうか、それが唯一の基準です。イエスキリストの恩恵=十字架の死により、自分の様なものを選び、赦してくださった神の前に、畏れとおののきをもってなんとか応えていこうとするところに、真実な生き方があります。それが、監督や奉仕者の条件、資質であり、信仰の実です。