フィリピの信徒への手紙2:1-30 8月2日
                   小田弘平
 パウロが書いた「フィリピの信徒への手紙」を読むと、フィリピの人々に対する親しみと温情が伝わってくる。フィリピの集会は、川岸のユダヤ教徒の祈りの場に集っていた婦人リディア、看守(獄吏)とその家族など少人数の集まりであろう。少人数ゆえ集会員の考えの違いは集会の前進にとって、躓きの石になる。パウロはこの問題で苦しんだ。それゆえ、集会員が同じ思いになることを願い、「相手を自分より優れた者」と考えなさいと手紙に書いた。その模範がイエス・キリストであると、6節から8節までの「キリスト賛歌」を引用して勧めた。
 この手紙を読んで、パウロの気持ちをまっすぐに受け止めた人物がフィリピの集会にいた。使徒言行録16章に登場する看守である。パウロが牢獄に囚われていたとき、大地震で牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが脱走したと思った看守が自害しようとした。そのときパウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない、私たちは皆ここにいる。」自分の職責が当然問題にされるこのとき、看守は自分自身の救いを最優先に考えた。公私混同である。看守は震

 

 

えながら言った。「救われるためにはどうすればいいでしょうか」と彼は恐れおののきつつ、自分の救いを求めた。囚人であるパウロに救いを求めたとわかれば、上役は看守の職責を問題にするだろう。しかし看守にとってそれは問題ではなかった。真夜中であったが、彼は自分の救いを求めた。彼は「今」というこの時を見逃さなかった。この真剣さに私は感動する。
 パウロの伝道は同労者に助けられた。2章にはテモテとエパフロディトの名が記されている。フィリピの集会では獄中のパウロを助けようと、お金、食料、衣類などをエパフロディトに持たせてを派遣することにしたが、発案者は集会員である看守であったかもしれない。何しろ看守は職業柄、囚人に必要な物は何かを熟知している。神の不思議な采配である。同労者を大切にするパウロはローマの信徒への手紙でも16章全部を使って感謝している。フィリピの信徒への手紙では、看守は登場しない。使徒言行録から読んでいくと、看守は「星のごとく輝く」同労者であった。聖書を読むとは行間から、無名の同労者を見出すことかもしれない。