ヘブライ人への手紙11章         2021.7.4  

 小田弘平 

 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

このことを紀元96年頃に生きている「現代」のヘブライ人キリスト者に伝えようと、信仰の先達として仰ぎたい創世記の人物をあげる。引用する人物は「信仰によって神に認められた」人という条件付きである。

前提としてこの世界は神の言葉によって創造されたとする。「初めに、神は天地を創造された。」彼らヘブライ人はこの言葉を信じていた。「初めに」とは「元始(はじめ)」(文語訳)の意味である。初冬の深夜、夜空を見上げると無数の星が輝いているが、銀河系中の惑星はそれぞれ決められた軌道を周り、けっして衝突することがない。ヘブライ人が天を見上げた頃、地中海周辺の空は今よりもはるかに澄み、星は天地創造の音楽を奏でていると実感したことだろう。

 最上の初子の羊を捧げたアベルは神の約束を信じた信仰者の姿を、この手紙の受取人であるヘブライ人キリスト者は学べというのである。これはローマ皇帝のキリスト者に対する激しい迫害殉教したキリスト信徒を重ねている。エノクが死んだとは創世記には書いていないが、この手紙の著者はエノクが天に移されたことは、エノクが神に喜ばれていたことの証明だという。著者は「神に近づく者は、神が存在しておられること、また神はご自分を求める者たちに報いてくださる」と信じていた。この手紙を現在読んでいる少数のヘブライ人の信徒に語るのである。

 

 

 

アブラハムは、「召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発した。」それ以来、その姿に励まされて、数しれぬ多くの人が「召し出されると、行き先も知らずに出発し」、未知の世界を切り開いてきたのである。その人々はどのような生き方をしたか。彼らは地上では旅人であり寄留者(口語訳)であった。事実、この自覚は現代を生きる我々にもどれほど大きな力になるか。地上のふるさとには未練はないのである。天には遥かに素晴らしいものがある。

続くモーセについて、彼の核心をずばり、突いている。「はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。」 

   この部分は出エジプト記にも書かれていない。この手紙の著者がモーセの心を読み取ったのである。聖書を読むとはこういうことだ。27節で「信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです。」「目に見えない方」とはキリストのことである。この手紙はイエス・キリストの復活後に生きるキリスト者に向けて書いていることがわかる。約束された神の言葉を固く守り抜いて困難を生き抜く者こそが天国を勝ち取れることを教えたいためである。 

   この手紙は現在苛烈な弾圧の中を生きている信徒への激励の「手紙」である