ヘブライ人への手紙12章        2021.7.11

西澤 正文

テーマ:キリスト者の鍛錬 主は愛する者を鍛え、鞭打たれる(6)

「鍛錬」と言う言葉が、5~11節の間に4回登場します。「鍛錬」とは、どんな意味があるのでしょうか? 辞書を開きますと「修養、訓練を積み心身を鍛えたり、技能を磨いたりすること」とあります。

   主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれます。「可愛い子には旅をさせよ」の言葉があるように、我々も、子供には、目先のことに捉われず、本人の将来の生活、人生を考え、時に厳しい言葉、態度で接し、心身を鍛えます。 

   テレビで野生の動物家族を見ていますと、親が徹底して生まれた赤ちゃんを守っています。狩りをして餌を与え、他の動物が近づけば、身を挺して命を守ります。そして徐々に大きくなれば、狩りを覚えさせます。独り立ちの準備です。ある時期が来ると家族から追い出します。「独り立ちしろ!」と、親から追放された子は、群れの家族を何度も振り返りながら離れていきます。人間も動物も、親は子供を守るため命を投げ出して子供を守ります。愛するわが子の独立を考え、親はやさしさと厳しさ両方の心をもって「鍛錬」に励みます。

    イエスも信じる者をわが子のように、否それ以上に愛する者を鍛えられます。人は、罪を犯でば代価を払い償います。大きな罪を犯せば、死んで罪滅ぼしをしなければなりません。 イエスは、その罪を負ってくださいました。十字架に掛かり、命を投げ出されました。私たちにとって、イエスは命の恩人です。  

ある日、オリンピック選考の陸上競技の女子1万メートルをテレビで見ることができました。個人的には、陸上競技が好きです。特に中・長距離種目が好きです。持久力、ラストスパート、駆け引き等、多くの要素を必要とする種目だからです。

   その時、1位となった新谷仁美さんが、「結果が出なければコーチの性 でも結果が出たのでコーチのおかげ」と,インタビューに答えていた言葉が心に残りました。

 

 

 

 

 

“結果が出なければコーチのせい“の発言、コーチに絶対的な信頼を置いた言葉だから、そう言えるのだと思いました。この言葉の背後には、コーチの厳しい練習メニューがあり、2人3脚で来る日も来る日も、死に物狂いで取り組まれた。厳しい練習に耐えられたのは、コーチにすべてを預けた厚い信頼があったからです。厳しい練習から生まれた充実感と自信が、あの言葉になったと思いました。当日の競技は、圧倒的な強さで、これまでの日本記録を30秒以上更新し、ゴールする時、2位の選手が目の前で、3位以下の選手は全員1~2周、追い越す圧倒的な勝利を収めました。

「結果が出なければコーチの性」と言い切った素晴らしさ=それはわたしたちの信仰にも言えると思います。神に全てお任せが信仰の神髄です。キリスト者はキリストに命を預けた者です。イエスは私たちに「自分を捨て自分の十字架を背負って私に従いなさい」と語っています。

   新谷選手の考えも好感が持てました。コロナ感染のワクチン接種について、こんなコメントを聞くことができました。「選手だから、一般の人より優遇されてワクチン接種を受けられることに違和感を覚えました。選手だからと言って優遇されることはいやです。国民の理解があってオリンピックが開催できると思うからです。」 国民と共に同じ立場にたって競技をしなければ意味がないと言っていました。

「自分の足でまっすぐ道を歩きなさい」(13) コーチを信頼できる人は、ある面、精神的に自立している、と言う見方ができると思います。自分をなくしているようで、しっかり自分を持っている人、独立している人と言えると思います。競技生活を離れても立派な人生を歩むだろうな、との思いを持ちました。

   私たちも日々の生活の中で、時に、厳しい鍛錬の場に直面することがあると思いますが、信仰が試される機会と捉え、イエスに全てを委ね、乗り越えていきましょう。