ブライ人への手紙2:1-18   2021.4.18

西澤 正文 

  1章では、神はイエスがこの世に現れる前の旧約時代、律法や儀式、諸々の制度、また士師たち、王たち、預言者たちにより神の意志、御心を示されました。

 しかし、新約時代、つまりイエスがこの世に誕生された時代に入り、預言者たちを通さず、直接、イエスが私達に語られ、私たちの罪を償うために御自身が十字架に架かり、私たちの身代わりになり天国に帰られた今日を迎えています。

  「だから」(1)イエスによって、福音をお聞きしたのだから、間違った教えに感化されないよう、誘惑されないように! 押し流されてしまうことのないように、イエス・キリストの誕生を認めないユダヤ教、つまり旧約時代の律法による支配の世界へ引き戻ってしまわないようにしなさい。

 「聞いたことにいっそうの注意を払う」ということは、単に御言葉に聴くのではなく、御言葉に従うということも含まれています。

   ヤコブの手紙の中に 「自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せなります。」(1:25)とあり、同じことが語られています。

   初代教会時代のクリスチャンは、イエスに付き従う従う信仰から離れてしまう危うさがありました。その人たちは、福音を聞いてはいるものの福音と言うものがどういうものか、まだしっかりと受け止められないでいました。 

   私たちも同じです。「キリストが救主」であることは聞き、同意はするけれども、礼拝が終わり、家に帰り普段の生活に戻りますと、時間が経つにしたがってキリストに従って生きる世界から離れていく自分に気が付きます。礼拝の時の自分と現

 

 

実の時の自分、私の中に別の二人がいることに気付きます。

   このような生活は、旧約時代、天使の活躍した時代と何ら変わりません。「そうでないと、

押し流されてしまいます」(1b)とは、私たちへのメッセージでもあります。

 「天使たちを通して語られた言葉」(2)とは、神の使者として御使いがモーセに伝えた律法旧約時代の律法です。この律法が力を発揮し、律法により全てのことが裁かれるなら、新約時代の現在、御子イエスキリストから多くの恩恵に浴している私たちが、その御恩恵を忘れて生活するなら、罰を逃れることはできないと言われていますが、本当にそう思います。

 神の独り子・御子イエスが誕生した今、私たちの信仰はキリストに向かって歩んでいか

なければなりません。キリストは御使いよりも優れた方なのですから、キリストの言葉は御使いの言葉よりも重要なのです。キリストにより与えられた救いを蔑ろ(ないがし)にする者はどんな人でも神の罰を逃れることはできません。

▢まとめとして

 日々の生活の中で、何度も何度も「十字架上のイエス像」を思い出しながら生活していきたいと願っています。信仰を与えられ、イエスに出会ってからも、人を愛する前に自分を愛し、自分に甘く罪を犯しても罪と思わず毎日生活しています。相変わらずできない自分です。しかしその自分の現実の姿を強く意識するようになりました。礼拝の御言葉の学びは,礼拝が終わって終わりとならず、家に帰り普段の生活に戻ったら、生活の場がイエスを見出せる信仰の場となるよう、また、信仰を証しする場となるよう励んでいきたいです。