ヘブライ人への手紙3:1-19 2021.4.25

西澤 正文

テーマ:わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。(14)

 エジプトを脱出したイスラエルの民は、40年間、荒野の旅をはじめ各地をさまよいながらカナンの地を目指しました。その間、イスラエルのリーダー・モーセの苦労は想像を絶しました。イスラエスの人々の不信仰、不従順…それは、神の奇跡を見ながらも、時がたてば神を忘れ、人間の欲望丸出しとなり、神を試みる連続の40年でした。それだから神ははっきりと怒りを露わにしました。

 それだから、あなた方のうち一人でも神から離れないよう「今日」という日に励まし合いなさい。「今日」神の声を聴くなら、神に反抗してはなりません。「信仰は、自分自身の内なる不信仰との闘いである」と、言うことを聞くことがあります。来る日も来る日も「今日」神にお会いし、祈りを捧げ、新しい心をいただき神に従うことが大切です。何年間礼拝に通っているなどと言う信仰歴の長さは関係ありません。来る朝ごとに「今日」という日に、神と出会い、神を迎え入れ、新しい心を与えられ従っていく。「先の者もが後になり後の者が先になる」の御言葉のように、信仰に入った年数が長い人は、知らず知らずの内に傲慢な人になってしまうことが多いです。しかし、新しい朝が来れば、皆、横一線に並び同じです。「今日一日も信仰が与えられますように」と、小さな者の自覚、「初心者マーク」をいただく日の繰り返しがクリスチャンの信仰生活ではないでしょうか。

 16~18節に「いったい誰が…反抗したのか」「いったい誰に対して、神は…憤られたのか」「いったい誰に対して、御自分の安息にあずからせはしない」と、3回繰り返し、 読者に問うています。あなたはそうであってはいけません、と促しています。手紙を書かれた筆者からの、何としても神、キリスト・イエスを信じなさい、という熱い

 

 

 

メッセージが伝わってきます。

 誰がとは、「モーセ、アロンの兄弟を含めたエジプトを脱出したイスラエルの民全員」です。神の怒りは、このように厳しいものです。申命記に、「主はあなたたちの不平の声を聞いて憤り、誓って言われた。『この悪い世代の人々のうちで、わたしが与えると先祖に誓った良い土地を見る者はない。』」(1:34-35)とあります。このことは、荒れ野の40年間、その間、エジプトを出た世代(成人者・大人)は、カナンの地に入る者は、誰も生存していないと言っています。アロンはバランの荒れ野のホル山で死を迎えた。モーセもピスカの山で遠く望むカナンの地を見ながら夢かなわなかった。神の怒りがいかに大きなものか、想像できます。

アロンは主から言われました。「アロンは先祖の列に加えられる。わたしがイスラエルの人々に与える土地に、彼は入ることができない。」(民数記20:24)と。

 モーセも言われました。「モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。……主はモーセに言われた。『これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。』主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。」(申命記34:1-5) 神はご自身で一度お決めになったことは、必ずその通りに推し進める毅然とした御方です。

▢まとめとして

 

   神は私たちの不信仰を決して見逃されません。しかし、一方で「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者になる」(14)ことをしっかり受け止め、信じる者に与えられる安息にあずかれるよう、お互いに日々励ましあって歩んでいきましょう。