ヘブライ人への手紙4章1-13   2021.5.2

                  西澤 正文

テーマ:神の安息はまだ続いている

   旧約聖書の時代、指導者・モーセと共に、カナンの土地を目指し、エジプトから脱出したイスラエルの民は、神の言葉を聞きながら、40年間荒野の旅をつづけました。長年、神が約束された「安息の地カナン」を目指していると、神の言葉を忘れ、自己中心的な欲望に負け、直ぐに不平・不満を叫び、モーセを困らせ乍ら旅を続けました。その様子がヘブライ人への手紙3:8-10に簡潔に記されています。「荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。荒れ野であなたたちの先祖は わたしを試み、験し、四十年の間わたしの業を見た。だから、わたしは、その時代の者たちに対して憤ってこう言った。『彼らはいつも心が迷っており、わたしの道を認めなかった。』」

 そして、イエスがこの世に誕生した新薬時代に入り、「神の安息の約束はまだ続いている」(1)ので、で江地プトの民のようにならないように気を付けようと呼びかけています。

当時、エジプトを脱出したイスラエルの民は、神が安息を約束した言葉(福音)が、心に届きませんでした。神を信じる信仰がないために、言葉が心に留まりませんでした。しかし、新約時代に入り、イエス・キリストの誕生を経験した私たちは、この安息、恩恵に浴することができます。 

 「わたしたちはこの安息にあずかるように努力しよう」(11節)さもないとイスラエルの民のように堕落するかもしれません。私たちは、イエス・キリストによって与えられる天における霊的安息に入るように努めなければなりません。わたしたちには、神殿の宗教儀式を司

ヘブラる聖職者である祭司を取りまとめる大祭

 

 

 

司・神の子イエスキリストがおられるから、我々はぶれることなく信仰を固く保ちましょう。この大祭司・イエスは、あらゆる点において、わたしたちと同様、三十数年の地上生活の体験を通し、私たちの心の内面…貪欲さ、弱さ、醜さ、自己中心的な考え方等すべて知り尽くした身近な方です。だから、我々はイエスの愛、御恵み、最適な助けをいただくために、勇気をもって大胆にイエスの間近に迫り生活しよう。 

▢まとめとして

エジプトを出発したイスラエルの民には、神の言葉が届きませんでした。そして現代を生きる私たちが、神の言葉を聞くとは、どういうことでしょうか。御言葉を自分自身の生活に当てはめることです。旧約時代、モーセの後をついて荒れ野を旅した民は、神の言葉を聞いたにもかかわらず自分の心に宿すことができませんでした。これはどうしてだろうか。神の言葉が心に響かなかったです。イエスが御国へ帰られた現代において、我々も神の言葉である聖書を読んでいても中々心に伝わって来ないことがよくあります。何故?

聖書を一冊の単なる書物として漠然と読んでいるからと思います。憶力の良い人は、強烈なイメージを描き、その中に数字や風景等を置き換え、心に焼き付ける、という話をよくお聞きします。自分自身の生活に置き換えるとは……、神と私自身の縦の1対1の関係、複数の中の私(私たち)でなく、一人になった状態で神と向き合うことです。御言葉によって、元気をいただく、活力が湧く、気分が軽くなる、このような実体験を沢山することが、私たちの信仰生活ではないでしょうか。