ヘブライ人への手紙6:1-20  2021.5.23

                   西澤 正文

テーマ: キリストの教えの初歩を離れ成熟(完成)を目指して進め(1-2)

6:1-8

 「今ではもう教師になっているはずなのに…」(5:12)とありますように、いつまでも幼子の様に、胃にやさしい柔らかな食べ物ばかりを食べないで、固い食べ物を口にする一人前のキリスト者になりなさい キリスト教の初歩的な教えに踏みとどまっていないで、そこを離れ一人前のキリスト者を目指そう。

これは、私たちにとって耳の痛い言葉です。いつまでも、キリスト教の教えに耳を傾け理解をすることに専念せず、教えに従っていく人に移るように促しています。

わたしたちは、ともすると聖書を一冊の書物をして読み進むことがあります。聖書を普通の書物として読む時、神、イエス・キリストとの間に空間があります。客観的に読めますが、別の見方をすれば、その時は安全な空間から聖書に接していると言えます。聖書の理解は深まりますが、その態度は常に第三者であり、お客さんと言えます。

「今ではもう教師になっているはずなのに…」とはそのことを指しています。いつまでも、頭で読み、深く詳しく理解し続けるなら聖書知識を詰め込むだけの人間になる。そうでなく、今の私に語りかけている御言葉として接しないさい、と勧めているのです。

「キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう」(2)と、私たち一人一人に語りかけてくれています。現在の古い生活、古い自分から離れ、イエスの後に従っていきなさい、そのように促されています。

 イエスは、マタイ、マルコ、ルカの3福音書の中で、3度繰り返し十字架の死と復活を予告しています。最初の予告において3福音書共に「自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と言われています。イエスは弟子たちに、た

 

 

だ私の後について来なさい、と言っているのではなく、私にあなた方の命を預けついて来なさい、と言っています。命がけで私イエスの従いなさいと言われています。

初歩を離れ完成を目指す信仰へ導かれるイエスの言葉があります。

 「イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。」(2:13-15)

 取税人レビは、立ち上がりました。古い自分を離れ、今までの生活から離れました。

 「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。……… 一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。(4:35-39-5:1)

 向こう岸にわたるとは、見知らぬ世界へ行くこと 誰も知らず、だれが待っているかわ

からない不安な世界 その世界へ出掛けていきました。

▢まとめとして

 

第3者的な態度を捨て、「今の私」ひとりに語られる御言葉として聖書を開いていきましょう。そして、一つ一つの御言葉にしっかりと耳を傾け、聖書の世界に足を踏み入れ、聴従していける人になれるよう祈り続けていきましょう。