ヘブライ人への手紙7章

小田弘平

 「ヘブライ人への手紙」はわたしたちが読み慣れている新約聖書の中では、複雑で独特の論理が用いられ難しく感じる。しかし、この手紙を読んだユダヤ人キリスト教徒は生まれたときからユダヤ教徒として徹底的に教育されて育っているので、難解とは思わなかっただろう。

彼らはモーセを通して選ばれた大祭司を通して罪が贖われると信じていた。

ところがイエスが登場し、イエスを通して神に近づくことができる新しい福音を語り始めた。ユダヤ教徒として育った信徒には、大祭司を通さない神へのルートがあるとは思わなかっただろう。この手紙の著者はイエスこそ神から直接任命された大祭司であるという。それどころか、旧約聖書の創世記に登場し、アブラハムを祝福したメルキゼデクと同じように永遠に生きる大祭司であるという。

 これは何を意味するか。これまでのモーセを通

 

 

 

 して選ばれる大祭司は人間ゆえ、交代する。しかし永遠に生きる新しい大祭司の登場は、これまでの大祭司の規定(律法)が崩されることになる。それどころか律法自体が廃止されたことになる。自分たちの存在の根拠を律法に求めてきたユダヤ教徒ユダヤ人にとって大変な事態だ。さらにイエスの福音は律法よりも優れた希望となるという。パウロも人を義としてくださるのは神で、イエス・キリストはわたしたちのために執り成し(つまり大祭司の役目)をしてくださると説いていた。

 

 この手紙の朗読を聴く当時の信徒の情景が眼に浮かぶ。彼らにはわたしたちが現在手にする印刷された新約聖書はまだなかった。パウロなどの手紙類の朗読を聴いた。わたしたちにとっては難解と思われるこのヘブライ人への「手紙」を彼らは全身全霊で聴き、次の世代にイエスの福音を継承した。彼らの働きの延長上に2000年後のわたしたちがいる。