ペトロの手紙Ⅰ 1:1-25         2022.2.20

西澤正文

テーマ:生活のすべての面で聖なる者となりなさい(15)

 紀元70年、エルサレムがローマ皇帝に占領され、ユダヤ人が全世界に散らされました。その中にあって、小アジアのポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの町に暮らすキリスト教信者宛に書かれたのが、ペテロ第一の手紙と言われています。

 各地に離散した信徒の様子ですが、36年頃のエルサレム教会の様子が、使徒言行録7~8章に記されています。事の発端となったのは、信仰と聖霊に満ち、恵みと力に満ち不思議な業、しるしを民衆の中で行ったステファノです。長老や律法学者はステファノを捕らえ最高法院に訴えました。ステファノは最高法院に集まった多くの人の前で証言しましが、その証言を聴いていた人々はステファノに襲い掛かり、石を投げられ、眠りにつきました。(使徒言行録7:59-60)このステファノの死が契機となり、エルサレムの教会に対する大迫害が起こりました。使徒を始め多くの人々は、ユダヤとサマリア地方に散っていきました。散って言った人々は、福音を告げながら巡り歩きました。人々は、イエスの教えを受けられた人たちの話に感銘を受け、また、多くの病人も癒され、町は喜ぶ人で溢れました。 

 ここで手紙に戻ります。住む家を持たない難民は、信仰の故に散らされて行きました。難民という意味は、迫害を避けて故国や居住地の外に出た人たちです。地上の生活の拠点・住処を離れた人で、わずかな荷物をまとめ、住み慣れた家を離れたのです。   

 「あなたがたは、キリストを見たことがいのに愛

 

 

 

し、見なくても信じています。だから、これからも心を引き締め、身を慎み、イエスが再臨される時を、いままで以上に与えられる恵みを期待して待ち望みなさい。あなた方は、信仰を与えられる前は、自分本位の生活をし、欲の赴くまま行動して生活し、この世が終わればすべてが終わると思って生活していました。しかし、信仰を与えられた今、キリスト者となったので神様に従いなさい。昔の自分に戻ってはいけません。神に倣い、あらゆる点で良い行いをしなさい。聖なる方に倣い、あなたがたもあらゆる点で聖なる者となりなさい。何故なら、『あなた方は聖なる者となれ 私は聖なる者だからである』(レビ記11:44)と言われているのです。」

 仮住い生活となれば身の回りの余分な持物は捨てます。この様な生活を継続しますと、生活するうえで、何が本当に大切なのかが、徐々に分かって来ます。信者は、イエスを信じる気持ちが強まって来ます。

 物質的な貧しさ、慎ましく、素朴な、清い暮らしは、人生にとり価値あるものとは何かを問い、それを見出させてくれます。イエスの御言葉、十字架上の姿が目の前に迫る生活となります。キリストを信ずる者にとり、試練はこのような結果をもたらす。家を負われ離散した人々は、試練の中に苦しみつつも神を讃美し、また光栄をもて喜ぶことのできた理由はここにあると思います。

▢むすびとして  

 わたしたちも、生活上の欲を捨て、絶えず残された命を愛おしみ、神様と正面から向き合いつつ貧しい人であること、聖なる者とされたことを忘れずに生活していきましょう。