ペトロの手紙Ⅰ 4:1-19      2022.3.13

テーマ:あなたがたはキリストの名のために非難されるなら幸いです(14)

 ペトロ第一の手紙は、迫害の中にあった人達、離散していた人達への励まし、慰めの言葉です。ここ4章も、周りの人たちに受け入れられない少数者に語っています。「あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(14節)

 日本のクリスチャンは1%以下 ですから私たちは国内で、「私はキリスト教を信じる者、クリスチャンです」と信仰告白すれば、それを聞いて腰を引く人が多くいます。日本でキリスト教信仰を維持することは難しいな、何度も感じます。

 クリスチャンの印象、イメージはどんなでしょうか…… ひ弱、軟弱、変り者、何時か信者になれと勧誘される、色々な色眼鏡を通して見られます。

 残念ながら私たちの周りの多くの人達は、クリスチャンに対して悪いイメージの先入観、固定観念に縛られていると思います。ちなみに、クラッシック音楽の作曲家でクリスチャンは、ベートーベン、バッハ、シューベルト、ハイドン、ショパン、リスト等々 多くいます。きっと、画家の中にも多くのクリスチャンがいると思います。欧米文化にあこがれる日本人は多くいます。文化の根底にキリスト教の影響が多くあるように思いますが、キリスト教まで至っていないと思うと残念でなりません。

 マタイ5章の山上の説教は、心の貧しい者は、悲しむ者は、柔和な者は、義に飢え乾く者は、憐み深い者は、心の清い者は…幸いです。そして、山上の説教の締め括りの言葉、「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように

 

 

 

迫害されたのである。」(マタイ5:11-12)

締め括りの言葉は、「幸いです」とは正反対です。何故でしょうか? 迫害を受けることは神、イエスキリストの教えに従って行動した証しです。昔の人達も皆、迫害されました。イエスがこの世を去り、弟子たちが伝道に邁進していた時、迫害に遭いましたが、その迫害を喜びました。 

 弟子たちは身柄を拘束され吊し上げられましたが、釈放され仲間と合流した時、「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。」(使徒言行録5:41)介抱されても、直ぐにまた境内、家々を訪れ伝道活動しました。迫害を受ける時はイエスの聖霊が共に居てくださる時です。イエスがすぐ近くにいてくださる時です。

▢結びにかえて

 祈る相手は神、イエス・キリストです。普段の生活も、しばしば神、イエス・キリストが話し相手になります。隣人に向き合う時、隣人の背後にはいつも神、イエスがおられることを思い浮かべます。自然の花、里山の景色、空や雲を眺める時も、その背後に神イエスが居られることを思い起こします。何をするにも、神、イエスのため、神のみ名が崇められるように、神に栄光がありますように、と思います。 

 迫害を喜ぶとは、神の御心 神の導きに従った結果、受ける時です。いつも、人を見ないで神を見て生活したいと思います。先日、ある姉から「私一人暮らしですが一人でないの。神様と話をして生活しているのよ。」 ああ、これがクリスチャンの理想の姿だなと思いました。