ペトロの手紙Ⅱ 2:1-22        2022.4.24

西澤 正文

テーマ: 人は、自分を打ち負かしたものに服従する(19b)

 この章全体は、義教師についての警告ですが、この偽教師とは、私たちの中の主から離れたもう一人の私について言っています。贖い主を拒否し、異端を持ち込むもう一人の私です。 

 偽教師は、勝手気ままで、安易にしたいことをする放縦生活をします。この様な生活をする人は、神の審判を免れられません。聖書の歴史も放縦な生活をする人たちがいたことが記されています。民数記22章には、不義の報酬を愛したベオルの子バラムのことが紹介されています。

 モアブの地に住む王・バラクは、エジプトからやって来た民の勢力が強大なため、バラムに神の禍を受けるよう呪ってほしいとと頼みました。神はバラムに「バラクの民と共に行くがよい。しかし、わたしが告げることだけを行え。」と言われました。主の御使いは、優遇話の誘いを耳にし視界が曇ってしまったバラムに対し、バラムを乗せたロバを道の両側の石垣に体を押し付け、バラムの足をも石垣に押し付けました。更にまた、御使いは狭い道に立ちふさがり、ロバの行く手をはばみました。ロバはバラムを乗せたままうずくまってしまった。この時、ものを言わないろばが、人間の声でものを言い、「わたしがあなたに何をしたというのか。三度もわたしを鞭打つとは」と、ロバの主バラムに反抗しまた。 更に、「わたしはあなたのロバです。あなたはずっと私に乗って来られたではありませんか。今まであなたに、このようなことをしたことがあるのでしょ

 

 

うか」ロバは、主・バラムに怒りをあらわにしました。主は、この時、バラムの目を開かれました。それまでバラムの目はずっと閉ざされていたのです。やっと現実の様子を見ることが出来、正気に返りました。 

 この民数記の出来事は、何を私たちに教えているのでしょうか? 自分の思い通りにいかない時、それは天使が立ち塞さがっているのです。また、「ものを言えないロバ」は、私たちの周りにも多くいるものです。例えば、病気や自然災害などを通し、私たちに対する警告のサインを送ります。注意を促します。真に、民数記に登場した神の御心を代弁したロバがそれです。何よりも、神はバラムを追いかけて、道を塞いでも守ろうとしているということだと思います。

 今日のテーマ「自分を打ち負かした者に服従する」(19)についてですが、私たちは、一体何に征服されているのでしょうか。肉の欲に征服されている者は肉の欲に征服され、この世に征服されている者はこの世の奴隷となります。私たちが神に征服され、イエス・キリストに征服されているなら、私たちは神、イエスの奴隷です。それは私たちの命をすべて神、イエス・キリストに明け渡すことです。

▢結びにかえて

  私たちの周りには偽教師はいますが、それよりも、自分の内側にも放縦、安易な道を好む偽教師=もう一人の自分がいます。こちらの方が手ごわいです。この誘惑に負けないよう、毎日、十字架の上のイエスを仰いで歩んでいきましょう。