マタイによる福音書12:33-50       2023.5.28

西澤 正文

テーマ: 人々はしるしを欲しがる(38-42)

  イエスは、この人ならと思う人に対し、奇跡の業を起こします。救いに値する信仰、熱心な求めを確認されて奇跡を起こされます。

 「すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、『先生、しるしを見せてください』と言った。」(38)このファリサイハの人々の発言は、信じたいためにしるしを求めるのでなく、イエスを落し入れたいためしるしを求めています。もうすでに何度か目の前で「しるし」を見ているのに、まだしるしを求め続けています。

 神の権威・力は服従すること、信じて従ってはじめてわかると言っています。そのよい例が、ルカ福音書にあります。 

 イエスから「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われたシモンが「何も取れませんでした。でもお言葉ですから、網を降ろしてみましょう」 

 

 

 

(ルカ5:4-8) そこでシモンは、イエスの言われた通りに従って網を降ろすと沢山の魚が獲れました。毎日、漁をしているペテロたちにしてみれば、この驚きは一般の人以上の大きな驚きだったのでしょう。網が破れそうなほどの魚を見たペテロが、イエスの足元にひれ伏し「主よ、わたしから離れてください。私は罪深い者なのです。」と言いました。このペテロの驚いた様子がリアルに目に迫って来ます。

 ニネベの人達はしるしを見ずに言葉をお聞きして悔い改め、シェバの女王はしるしを見ず言葉をお聞きして納得されました。しるしだけに関心を持つ人がその時の一時の驚きだけで終わります。興奮がさめると何も残りません。以前のままの自分に留まったままということです。

 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」(ヘブライ人への手紙11:1)まだ見えていない事実を確認することが信仰であり、見える世界であれば信仰でなくなります。ひたすらイエスを信じ、従って歩んでいきましょう。