マタイによる福音書6:1-18       2023.2.26

西澤 正文

テーマ:隠れたことをみておられる父が、あなたに報いてくださる(4,6,18)

 イエスは、施し、祈り、断食について語られました。これらの行為は、人に見せるためでなく、ただ天の父に見られるよう隠れて行うべきであると言われました。

 施しをする場合、貧しい人が誰にも知られずに助け(品物)を受けられられるようにする

事です。この世の偽善者は、その逆です。敢えて人目の付きやすい会堂や人通りの多い街角を選び、施しをします。

 イエスは言います。良い行いが人目につけば既に報いを受けたことになり、神からの報いは受けられない。人目につかない隠れたことを見ている神は、あなたに報いてくださると。ユダヤ教の言伝えでは、「神殿の中に『秘密の部屋』があり、敬虔な人はそこにこっそり施しの品を置いて、貧しい人が誰にも知られずに助けを受けられるようにした」と言われています。

 

 

 キリスト者は、ただ神のみ心を為すよう心がければよい、私たちに臨まれた神の光を遮らないようにすればよいのです。神につながっていれば、聖霊の働きにより、必ずその人独自、最善の方法により実を結ぶようになります。私たちは、ただ神の善行の器具であることを期待すればよく、これが人として最大名誉であることを知ればいいのです。

 祈る時も、人目を避け、静かなところで父なる神に祈るよう注意しなければなりません。そうすれば施し同様に隠れたことを見ておられる父が報いてくださいます。

 断食の時も、施し、祈り同様、人目につかないように気をつけなければなりません。偽善者は断食の辛さを人に知ってほしいと辛そうな顔をします。断食の大きな目的は、目をこの世から離し、神に集中し、神との関係を深めるためです。断食は私たちに祈るための時間を与え、自己訓練を教え、神の賜物に感謝する機会となります。イエスは人々から評価を得る断食することを非難しました。イエスはひそかに誠実に行われる断食を賞賛しました。

▢まとめとして

 施し、祈り、断食を為すのは、自分の心、目を人にでなく、一途に神様に向かうようにするためです。何よりも先ず神の国(支配)と神の義(赦し)を求めるためです。