清水聖書集会 マタイによる福音書9章1節から17節      2023.4.2

小田弘平

   イエスは中風に罹った病人に「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。イエスが重病の患者を「子よ」と呼ばれる。半身が麻痺していても神の子には変わりない。

 当時重病になるのは本人、あるいは両親又は先祖の罪の結果であるとされていた。しかしイエスは「あなたの罪は赦される」と言われた。それを聞いた律法学者の一人が「イエスの言動は神を冒瀆している」と思った。これを見抜いたイエスは「『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと,どちらが易しいか。」と言われた。当然『起きて歩け』と言うことの方が困難である。もし歩ければ病いの原因である罪も赦されていることになる。中風の人に「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。このように神の御業である人間の救いは「罪人」であるとされた重病人から始まった。

 マタイは街道に面するローマ総督の管轄下にある収税所に座っていた。徴税人マタイは規定

 

以上に徴収して上前をはねて私腹を肥やしていた。他のユダヤ人から「罪人」とされていた。

 マタイは家族を養うために人々から罪人とさげすまれても取税人の仕事を続けるかどうか悩んでいた。彼の悩みをいエスは瞬時に見抜き、彼に「わたしに従いなさい」と声をかけた。彼は思わず「立ち上が」りイエスに従った。

 取税人の仕事をきっぱり捨てたマタイは邸宅にイエスや罪人と軽蔑されている人々も招いた。ファリサイ派の一人は「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と弟子に追及した。イエスは「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、(律法を守る)正しい人を招くためではなく、(律法を守ることができない)罪人を招くためである」と言われた。 

 イエスは「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れよ」と言って、ユダヤ教から排除される罪人を招く「新しい革袋」であるイエスの福音を叫ばれたのだ。これこそユダヤ人にとって律法の完成である。小さくされている人が救われる福音こそ神の愛である。