マタイによる福音書9:18-38        2023.4.9

西澤 正文

テーマ:飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれるのを見て憐れむ(36)

 5~7章までは、イエスが山上の説教を話され、それが終わると堰を切ったかのように、町や村を残らず回られ、ありとあらゆる病気、患いを癒され、会堂で福音を宣べ伝えられました。何故でしょうか? 群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれていたからです。

 誰に従ったらいいのか、何処に食べ物を求めたらいいのか、全く分からず、不安と不満を抱え、さ迷い続ける生活をしていました。人々は悩み、空腹で倒れ、あるいは狼のようなならず者に襲われていました。イエスはこれを見て、深く憐まれたのです。

 イエスは、現場に行ってご自身の目で見て、現実を確かめられる。そして感じられる。現場主義に徹する。御自身の目で見るのが一番確実です。弟子達に向って「収穫は多いが、収穫する人が足りない。だから弟子達で働き手を送ってくださるよう主に願いなさい。」と言われま

 

 

した。

 ところで、「飼い主のいない羊のように弱り果て」とは、どのような人たちでしょうか? 人生に生きる意味、人生の目標を見出せない人を指しています。進むべき方向が定まらず、さ迷いながら生活している人です。そのような人は、一度の人生だから、楽しく生活できればそれでいい、と割り切っています。

 我々、キリスト者は、人生の目標がはっきりしています。心を尽くし神を愛すること、自分と同じように隣人を愛すること、この2つが人生の目標です。

 神様に生かされ、与えられた恵みを素直に喜び、感謝することが私たちの人生です。とは言うものの、時代の子でもあります。世を取り巻く荒波を受け、厳しい生活環境のもとで生活を強いられます。正直、飼主のいない羊のように神、キリストイエスの姿を見失うこともあります。日々、神を仰ぎ、静かに祈る時間を確保し、また神の御言葉を思い出しつつ生活していきましょう。そのためにお互いに励ましあっていきましょう。