マルコによる福音書12:1-17   2021.11.28

西澤 正文

テーマ: 家を建てる者の捨てた石が隅の親石となった(10)

   ブドウ園の主人、つまりブドウ園を作られた神は、ブドウ園を預けた農夫たちつまりイスラエルの民から収穫物を受け取るため、3人の僕を送りました。しかし、一向にぶどうは手に入りませんでした。そこで最後に、ひとり子・イエスを送り出されました。神は、親心を持ってイスラエルを救おうとされました。しかし農夫(イスラエルの民)は、主人(神)の事を思わず、自分たちの利益を得る事だけに没頭していました。

   家を建てる者の捨てた石とは、イスラエルの人々に捨てられた石=イエスを指しています。隅の親石となる=それは、神の家の親石、すなわち基礎・土台となるという事です。 イエス以外のものを生活の中心、心の拠り所とするなら、安定感を欠き、ぐらつくと言っています。つまり、イエス以外に心の拠り所となるものはないという事です。

家を建てる場合、最初に手掛けるのは基礎工事です。家を建てる外側に、深く土を掘ります。そこに木枠で囲みセメントを流し、コンクリートで固めます。建築現場に近づき、土の深さがどれ程か知りたく覗き込んだことがありました。思っていた以上に深く驚いた記憶があります。

   私の家は、現在、築33年が経ちました。大工さんは知人でした。建築中、「西澤さんの家、基礎をしっかり作ったから心配ないですよ」と自信を持って話されました。建築に携わる人にとって、見栄えの良い洒落た外観の家よりも基礎をしっかり作るこ

 

 

 

とが、何よりも大事だ、と言っているように聞こえました。

  基礎の上に鉄骨、あるいは太い角材を立てますが、家を支える大黒柱を基礎の上に立てるからです。11節で「親石」と言っていますが、真に親石から様々な太さ・長さの角材が縦、横、斜めに組み合わされ家屋の骨組みが出来上がっていきます。

   それはともかく、「隅の親石」は家が完成される時、人目に触れることはありません。 親石は家が完成されると壁面に覆われ隠れてしまいます。「隅の親石」はイエスそのものです。イエスは私たちの罪を買い取り、命を捧げられ、この世から姿を消されました。隅の親石は、人目に触れず隠れた存在であり、イエスと同じです。家が完成された時、自らの姿を隠し、解体されるまで家を維持し続けます。

 イエスは、33年間の人生の最期、全ての人に捨てられたイエスです。これは、全て神様の御計画であり、全ての人々を救うための神様の壮大な御計画なのです。

 ブドウ園の農夫とは、今、目の前でイエスの話を聞いていた祭司長、律法学者、長老たちです。イエスからたとえ話を聞き終えて、結局、自分たちのことを言われたいたことを知り、イエスに対する怒りが益々膨らんで来ました。

▢結びとして

  私たちは、ともするとこの世の事に目も心も奪われてしまいます。しかし、信仰は見えない世界です。常に、私たちの心の中にある「隅の親石」・イエスに目と心を向け、日々歩んでいましょう。