マルコによる福音書12章18-44   2021.12.12

西澤 正文

テーマ: 最も重要な掟

 イエスの言われる第一の掟は、神を愛しなさい。この掟は垂直的であり縦の関係です。天におられる神と私の関係と言えます。第二の掟は、隣人を愛しなさい。この掟は水平的であり横の関係です。人と人の関係と言えます。 

 十字架は縦棒と横棒がクロスして出来ています。第一の戒と第二の戒も十字架と同様にクロスしています。つまり、神を愛することは隣人を愛する事です。なぜなら、それは神がもっとも望んでおられることであり、イエスは自ら地上に置いて証明されました。それは、神のひとり子・イエスは、神の使命を全うするためにこの世に生まれ、人類の罪を一手に引き受けられ、私たちの身代わりになって十字架上で命を捨てられたからです。イエス自身が実行され、33歳で天に帰られました。

 「人は友のために命を捨てる事、これより大きな愛はない」この御言葉通りに生きた人物を描いた三浦綾子著「塩狩峠」という本があります。結納のため、札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車が、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れて暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた……作動しない! 明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らを犠牲にして車輪の下に飛び込み、自らの体をブレーキとし、車輪の下敷きとなり客車を止められた。大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯です。

 私たち凡人で勇気のない者にとり、簡単に自分の命を人のために投げ出すことは至難の事です。だからと言ってそれでいい、という事ではありません。私たちにできる「隣人を自分のように愛する」ことは何か、と考え、キリストを信じる者として出来る具体的なことは何か……。時間を捧げる事、労働す

る事、人に会い話をする事、挨拶を交わす事、手

 

 

紙、はがき、電話、メールなどを送り、交流する事、物を送り合う事(物々交換する事)等々ではないでしょうか。  

 人との交わりを嫌がる人は、「面倒くさい」気持ちがあり、また、ハッキリ口にします。しかし、良く考えてみますと「面倒臭い」を言っていたら人の住む社会は成り立ちません。人との交わりが社会を作るからです。

ここで、イエスの誕生の意味を少し考えたいと思います。旧約時代、律法が幅を利かせ、罪を罪として気付かせ、罰則を与えました。旧約時代の人々は、律法に反していないか、に主眼が置かれていました。自ずと、律法に詳しい律法学者,律法を守る事に厳格なパリサイ人、神殿を守る祭司(レビ人)達が、幅を利かす社会となりました。その一方で、社会を改革する救世主の到来を願う人々が、圧倒的に多くなりました。息苦しい時代が続き、救い主の到来を待ち望んだのです。そして紀元前3年、イエスが誕生しました。イエスの誕生は福音の到来です。そしてイエスがマタイ、マルコ、ルカそれぞれの福音書で、今日学んでいる「もっとも重要な掟」を明らかにされました。

 今まで祭司が仰々しく神殿、聖所などで捧げ物を捧げる行為は要らない 心から神を愛しなさい 自分のように隣人を愛しなさい これだけを人生の目標とすれば良い、と言われたのです。

▢むすびとして

 ならば、どうすれはいいのか。新約聖書をよく読むことに尽きると思います。特に4つの福音書をよく読むことです。福音書はイエスの誕生から死まで、そして死直後の復活まで記しています。イエスが何時、何処で、どのような状況の中で、誰に向かって、何を話されたのか。このことを頭に置き、繰り返し読んで、しっかり理解すれば自ずと示されてきます。