マルコによる福音書13章1-37  2021.12.19

西澤 正文

テーマ: 目を覚ましていなさい(37)

 13章はイエスの再臨の予言です。マタイ、ルカにも記載されてあり、大切な内容です。イエスは将来、色々な時期において起こる現象を描き、それを弟子たちに話し、その時にどのような態度で迎えるべきかを教えられた。

 その一つに、身近なエルサレム神殿の崩壊が起こること、さらに世の終わりにおいても実現する事を示されました。私達は、キリスト再臨の時の光景、世の終末の様子を詳しく、また、具体的に知ることはできない。世の終末の状態を霊的に確認することが必要であり、預言の精神を霊的に把握し、始めてイエスの再臨と世の終末の光景を理解することができます。

 32節以降イエスは、3度繰り返し「覚ましていなさい」と弟子たちに話されました。信者の心掛けの第一は、天地自然界の兆(しるし)=いちじくを見て再臨の時を知ること。第二は、そのために目を覚ましていることと言われました。

 マタイ福音書24章45~51では、特に目を覚まして生活することを強調しています。「主人(旅行に出かける主人)が一人の僕を選び、使用人達の上に立て、時間時間に食事を与えさせることにした場合に、いったいどんな僕が忠実で賢いのであろうか。主人か突然帰って来た時でも、主

 

 

人に言われたことを忠実に働いている僕です。いつ主人が帰って来てもいい様に、常に忠実に言われた通りのことをしなさい。」

 このイエスの教えは、キリストが間もなく再び来られる時は、日常の時間を超越し、昔も今も変わらず、直ちに来るのであり、またその日と時とは何人も知らないという事です。

どんな時代に生きる人でも、「目を覚していなさい」の命令は、イエスが弟子たちに言われたと同じ強さで、今の私達にも言われている。

■結びとして

パウロは、自分の生きている間に再臨が来ると信じていたと言われている。それ程、信者にとり再臨の日は大切なもので、人生最高の目標です。イエスの十字架と復活、そして再臨がキリスト教の柱と言われるが、キリスト教信者にとって再臨が最後の救いの時であり裁かれる時です。

約2千年の時を経た今、キリストの再臨が十二使徒たちにとり、近いものと思ったと同じように、私たちにとっても主の再臨の時は近い、と受け止め生活しましょう。

 主の再臨の日こそ、クリスチャンが待ち望む日。裁かれ、そして救われる時。心から待ち望むことが出来るよう、日々悔い改め、隣人を愛し、神を愛し、救い主を待ちわびて生活していきましょう。