マルコによる福音書14:1~26            2022.116   

小田弘平

 祭司長たちは律法学者とイエスを暗殺しようと企む。この情報を耳にしたある女性は驚く。この女性はかつてイエスによって救われた。しかし聖書はそのことを記録していない。

   当時イエスはベタニアのシモンの家に滞在しておられた。シモンは二人の娘と暮らしていた。ベタニアはエルサレムから3キロのところにある。

   イエスがシモンの家に滞在しておられると知ったこの女性は危険が迫っているイエスのもとに汗をかきながら駆け付けた。自分を救ってくださったイエスに感謝の気持ちを伝えたく走った。手にしているのは彼女がこれまで稼いだ金で手にした高価なナルドの香油の入った壺である。彼女はシモンの家に闖入(ちんにゅう)し、主人シモンに挨拶もせずイエスの許に走り寄り、死期が迫っているイエスに「イエス様」と叫んで壺の栓を抜かず、石膏の壺を壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。周りにいた人々は突然の出来事に唖然と見守るだけだ。部屋には香油のかぐわしい香りが漂った。

 この女性の真意がわからない何人かが、「なぜ、こんなに高価な香油を無駄遣いしたのか。この香油を三百デナリオン(三百万円)以上に売って、貧しい人に施すことができるのに」と彼女をとがめた。女性の意図を理解したのは、イエスのみだった。イエスはこの人は「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」のだと説明する。

 

 

 この女性は自分の命を救ったイエスの愛を考えると、自分の全財産をイエスに注いでも惜しいとは思わない。 

 ところが事態は思わぬところで進行していた。十二弟子のひとりであるイスカリオテのユダがイエスを祭司長たちに引き渡そうする。彼は神によらず自分の意志で生きていく道を選ぶ。なぜだろうか。彼は祭司長たちのところへ行き、イエスを引き渡す意思を伝える。ところがイエスはユダを追及するのではなく、過越の食事を用意するように弟子たちに言われた。「過ぎ越し」とはモーセに率いられたイスラエルの民がエジプトを脱出する際、主はエジプトの国を打たれたが、小羊の血を家の柱と鴨居に塗ったイスラエル人の家を主の裁きは過ぎ越されたことを覚える大切な行事である。

   イエスが過ぎ越しの食事を弟子たちとされたのはなぜだろうか。ユダの裏切りは大変な罪だ。この罪をイエスはどう受け止められたか。イエスを襲う十字架上の血によって、神の裁きが人間を過ぎ越す道を選ばれた。イエスが弟子たちとともに過ぎ越しの食事をされたのはこのためである。 

   この過ぎ越しの食事をして賛美の歌を歌ってから、オリーブ山に向かわれた。イエスは人間の罪を過ぎ越すための小羊となることを感謝し賛美の歌を歌われたのである。神のなさる御業に驚くばかりだ。神の深い愛を思う。