マルコによる福音書15:1-47         2022.2.6

西澤 正文

テーマ: 「それはあなたが言っていることです」(2)

 ピラトはイエスに「お前はユダヤ人の王なのか」と問えば、「それはあなたが言っていることです」と、一言答えただけで、以後、完全に沈黙を守りました。質問に答える事が無意味であるのを知っておられたからです。

 ピラトはイエスを死刑にすることにより、容易にイエスに打勝つことが出来ました。しかし、イエスは、十字架上で死に、そして復活し、永遠にピラトに勝つことが出来ました。キリストとこの世との間には、正に、イエスとピラトとのごとき対立があります。この世はキリスト者に勝つことによって一時的に勝利し、キリスト者はこの世に負けることによって永遠に勝利します。

 兵士たちは、イエスが死ぬ前に憂さ晴らししようと総督官邸の庭に引き連れ、徹底的に侮辱しました。人間の嫉妬、ねたみの根深さを教えられます。私は、人から軽蔑されたと思う時、このイエスが受け続けた侮辱のシーンを思い出します。イエスの侮辱を思い出せば、自分の侮辱などは取るに足りない、と耐える力を与えられるからです。 

 政治家ピラトは、祭司長たちがイエスを逮捕した理由は、イエスには群衆の心をとらえる力があり、到底イエスに太刀打ちできないというねたみであったことを知っていました。ねたみは争い、敵視の元です。ねたみが激しさを増せば最終的に殺人に至ります。人と比較する事でねたみの心が生まれます。

人を見ないで神を見なさい、と言われるイエスの教

 

 

えが思い出されます。

 午前9時イエスは十字架につけられました。(25) 昼12時、全地が暗くなり午後3時まで続きました。そしてイエスが大声で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(わが神わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)と叫ばれました。このイエスの最期の「なぜ私をお見捨てになったのですか」の心からの叫び声は、自然であり人間らしいと思います。それにもかかわらず、父なる神の命令であれば全て受け入れ従いました。神の子の姿を死においても、ハッキリ見ることが出来ます。

 同時に、神殿の垂れ幕が真二つに裂けました。……年に1度、大祭司一人が、民衆を代表し、神聖不可侵な神が臨在される場所・至聖所を覆った垂れ幕が、真っ二つに裂けました。至聖所が露わにされたのです。神聖な空間が撤去されました。それはイエスの命と引き換えでそうなったのです。イエスの命がそうさせたのです。これからは、目に見えない聖霊が、全ての人たちを守り、導かれるということです。

▢結びとして 

エスは、死に際して、沈黙を守り通しました。これは、神への信頼の証しです。神の使命を全うされました。果たされました。「本当に、この人は神の子だ」と言われた百卒長の感嘆した言葉が響きます。私達も、イエスが徹底して神を信頼されたように、ただ神、イエスだけを見詰め、信頼し、日々、明るく力強く生活していきましょう。