マルコによる福音書3章1-35  2021.8.22

西澤 正文

テーマ: (35)神の御心を行う人こそ私の兄弟姉妹、母なのだ」

 生前のイエスは、身内からは厄介者扱いされました。イエスに対し「あの男は気が変になっている」と言う噂を耳にした身内は、世間体を考え、家に戻られたイエスを取り押さえに来ました。(20-21) また、その後、故郷に帰り会堂で教えると「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。…この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちはここで我々と一緒に住んでいるのではないか。」(6:1-3)と言われ、イエスは、受け入れられませんでした。

 しかし、十字架に掛かり復活した後、見方が一変しました。信仰を受け継ぐ立派な信仰者にかわりました。

 母・マリアとイエスの兄弟たちは、復活したイエスが天に帰られた直後、イエスの弟子たちの仲間と共に熱心に祈りの輪に参加しています。「弟子たちは皆、婦人たちやイエスの母マリア、イエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(使徒言行録1:14)

 またイエスの兄弟ヤコブは、復活したイエスに会っています。エルサレム教会の「ヤコブとケファ(ペトロ)、ヨハネ、つまり柱と目される主だった人たち」(ガラテヤ2:9)として紹介されています。 

 イエスは集ってくる群衆の老幼男女、すべての人々に対し、限りない愛の目を注ぎ、「神のみ心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また、母なのだ」(35)と言われました。

 

 

 

イエスの最大の関心は、人々が神の御心を行うこと、この一点だけでした。このような者が、天国の家族であり、母以上の母、兄弟以上の兄弟と考えていました。従って、肉親よりもさらに深い家族は、神の家族、霊の家族であることを教えています。                                                                                                                                                              

 私たちは、祈る時、「天のお父様」と言って祈ります。信じる人は天にお父様がおられ、そのお父様に向かって祈ります。十戒の第一「わたしは唯一の神である ほかに神があってはならない」、これこそ律法中の律法です。

 信じる人は、「天の御父様」と親子関係にあります。神の一人子・イエスを救主と信じる者は、みな兄弟姉妹なのです。有難いです。キリスト教の兄弟は、この世の肉親より優先する考えです。

 私たちは、皆それぞれ色々な方法でキリスト教に出会い、信じる者とされました。この世の律法(法律)を守ろうとしても決して完璧には守れません。罪を犯さずに生活することができるのはイエスだけです。縁あってイエスと出会い、イエスを通してはじめて、私たちは皆、罪人である事を知りました。また、罪は赦されなければ生きられないことを知りました。神は、イエスをこの世に送られ、人間の罪を買い取るために、イエスが身代わりとなり私たちの罪を負って血を流し天国へ帰りました。 

 この救主であるキリスト・イエスを信じ、従う人が神の家族となることができます。私たちは、「自分の命を捨て、わたしに従ってきなさい」と言われたイエスに命を預け、従順に従っていきましょう。その先には、既に天国に帰られた神の家族、兄弟姉妹が待っているのです。再会を励みに前進していきましょう。