マルコによる福音書4章1-41   2021.9.5

西澤 正文

テーマ:向こう岸へ渡ろう(35)

   イエスと弟子たちは、カファルナウムの町や会堂、ガリラヤ湖畔ガリラヤ湖での活動を続けていた。夕方になって、周りが暗くなりつつある中でイエスは、弟子たちに「向こう岸へ行こう」と声を掛けられた。ガリラヤ湖は山で囲まれ、特に風が強く、湖面は波が経つ。危険であり弟子たちは不安な気持ちになった。何故、イエスは、夕方になり視界が効かない湖を渡ろうと声を掛けるのだろうか?

 イエスは、伝道開始前、そのことを言っておられた。「わたしは宣教する。そのために私は出てきたのである」(マルコ1:28)この思いを持ち続けているのです。イエスは一か所にとどまることをしません。常に新しい場所へ移動し、時間を惜しみ福音伝道に励まれました。

 この、「向こう岸に渡ろう」の呼びかけは、弟子に向かって言われた言葉でなく、私たち一人一人に向かって言われた言葉として受け止めなければと思う。海、湖、川を渡る時、体は水の上、船に乗ると揺れて不安定となる。「向こう岸に渡ろう」、すなわち今の場所を離れることの不安、そしてそれによってもたらされるさまざまな試練、けれども主イエスはいつも不安な時に決まってわたしたちの直ぐ近くにいてくださる方です。波を静め、溺れそうなと

 きには手を差し出し、最後は約束の港へと導いてくださいます。それが今も続いているわたしたち信

 

 

仰生活の旅路です。

たとえ、向こう岸を渡り、困難や不安を抱えて生活するようになろうと、イエスを信じる信仰によりついていくことができます。否、苦難や不安を感じる時こそ、イエスが身近に居てくださることが実感できます。

 無風状態、波風が立たないことは良い様に思うかもしれませんが、長い目で見た時、空気が流れないことは淀んだ状態です。信仰生活はイエスが共にいてくれる生活です。

   内村鑑三から多大な影響を受けた矢内原忠雄が、自身の礼拝に集う画家に、こう言っていました。「私の姿を描こうとするなら土手の上で北風に向かう姿を描いてくれ」と。正面から強い北風が吹く時、前傾姿勢を取らなければ足を前に延ばすことはできません。流れに抗して進む者は、艱難に臆することなく立ち向かう人であり、真に、この世の苦しみに逃げず体を張って、神により頼む人の姿でありましょう。この姿を描いてほしいと言っていました。矢内原忠雄の厳しい生活姿勢に重なります。                                                                                                                                                                         ▢まとめとして

「向こう岸へ渡ろう」、このイエスの呼びかけを、私たち一人一人に掛けられた言葉として受け止めたいと思います。そして、この誘いの言葉に静かに従っていく信仰生活を送りましょう。