マタイによる福音書7章1-37    2021.10.3

西澤 正文

テーマ: 主よ、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。(28)

 イエスは、イスラエルの指導的地位にあるファリサイ人、律法学者達ですら、戒めをないがしろにし、昔の言い伝えを重んじ、人間に都合の良いように生活に取り入れている現状を嘆き、イエスは、悲しい心境でゲネサレトの地を立ち去りました。

   イエスは内心、誰にも知られたくないと思っていましたが、人々に気づかれてしまいました。イエスは来ておられる…この情報をキャッチした女=ギリシャ人でシリア・フェニキア生まれでした。

  穢れた悪霊に取りつかれた娘を救っていただきたい、その一心で、イエスの前に進み、ひざ元に四つん這いになり、深々と頭を下げたのです。

女は「穢れた悪霊を追い出してください」(26)と哀願しました。それにイエス、応えました。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」(27)

    イエスはイスラエルと異邦人との関係を、家庭における子供とその愛犬との関係にたとえられました。子供が飢えているのに犬を満腹にしてはいけない。ユダヤ人に救いを与えず、異邦人に救いを与えてはけない、と。私(イエス)は、今、自分の民・イスラエルの救いの事で心が一杯なのだ。気

 

 

の毒だが他の人には構っていられないのだ」と言う意味で言われました。

 イエスは「まず、」と言いました。それは、第一がユダヤ人、第二が異邦人と言う意味で、ユダヤ人の普通の候えでした。女は、一歩も引きません。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」 ああそうですか、分かりました、ではない。女の答は道理に叶ったものでした。しかしながら単にこれをこの場におけるふさわしい知恵とのみ見るのではなく、この中に重大なる真理がありました。

 すなわち神の祝福は、自分の無価値を信じて、謙遜な心で神の祝福を求める者に与えられます。

 この女がこの重大な真理を発見したのは、求める心が強かったからです。なりふり構わず、見てくれがどうのこうのでない。四つん這いになり、床すれすれに頭を下げ、「小犬も、子供のパン屑はいただきます」と執拗に求め一歩も下がらなかった。                                                        ▢まとめとして

 二つ大切なことを教えられました。

1)イエスの恵みであれば、どんなに小さくてもかけがえのない尊いものです。

 

2)イエスは、強く熱心に求める姿を見殺ししない、必ず助けてくださるお方です。私達もフェニキアの女のように、熱心にイエスの恵みがいただける様、イエスに近づいて求めていきましょう。