ヨハネによる福音書10:1~42      2022.9.18 西澤正文

テーマ: わたしは良い羊飼い。なぜなら、わたしは羊のために命を捨てるからでる(11)  

 羊は、見るからに弱い動物 角が生えていても曲がっています。あの角では戦うことが出来ません。足も太く短く、走っても直ぐに捕まってしまいます。では何が頼りであろうか。耳が良く、聞くことだけだけは、他の動物と比べても引けを取らないでしょう。

 羊は、牧場の家畜として囲いの中で生活するしか安心できる場所はないだろう。それでも、聖書に出てくる盗人の難に遭います。ですから何と言っても、飼い主の声を聞き分ける耳が命を守る術であり、これしか頼るものはありません。

 単に聞くだけでなく、飼い主の声を正確に聞き分けるのです。耳を傾たむけ、全神経を集中し静かに飼い主の声を聴き分けます。鋭い聴力を必要とします。傾聴と静聴を併せ持つ能力があります。静かにじっと耳を傾けるには、忍耐力と集中力が必要です。聴き分けるとは、自分の意志でしっかり聞き漏らすまいと聞こうとするため、それ相応のエネルギーを消耗します。

 羊のもう一つの特性は、飼い主のイエスに素直に従うことです。声を聴き分けたら、従って付いて行きます。飼い主の後に付いて行けば、草原に導かれ草を食べることが出来るのです。命を

 

つなぐことができます。

 イエスは、マタイ、マルコ、ルカの福音書の中で、弟子に「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と話されました。

 弟子たちはイエスが逮捕され、十字架に付けられることになると分ると、その場から逃げ出しました。イエスを見捨てました。何故か、自分を捨てることが出来なかったのです。自分に固執した、捨てきれなかった。死ぬことが怖かったのです。

 羊は、違います。羊飼いから離れれば、死に直結します。ですから必死になって従っていきます。羊はそれほど弱い動物。しかし見方を変えれば、弱さを知っているからこそ、飼い主であるイエスを信じる心は、人間よりもはるかに強いと言えます 

▢むすびとして

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てるからでる」(11) イエスは私たちの罪を贖われ、ご自身が我々の身代わりに死んでくださった命の恩人です。これ以上の恵みはありません。羊のように、イエスに全て=命まで委ねて従っていきましょう。