ヨハネによる福音書12:1~50         2022.10.2

西澤 正文

テーマ: わたしの葬りの日のために、それ(香油)を取って置いた(7)  

 11章の最後に「祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。」と書かれ、舞台は12章に移りました。

 過越し祭の前日、イエスはベタニアに行かれました。イエスは、死んだラザロを蘇らせた家にいます。姉のマルタが給仕の仕事をし、ラザロはイエスや弟子たちとともにテーブルの席についています。そんな中にあって、マリアが大変高価なナルドの香油を一リトラ持ってきて、イエスの足に塗りました。

 その姿を見ていたユダが言いました。「なぜ、この香油を売って貧しい人に施さなかったのか」ユダは、盗人で金を預かっていながら胡麻化していたからそのように言いました。 

新改訳では、ユダの事情がよくわかります。「しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを

 

 

 心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。」

イエスが直ぐさまユダに言いました。「この人のするままに 私の葬られる日のため、香油を取って置いたのだ。貧しい人々はいつもあなた方とともにいる 私はいつも一緒にいない」と。

 マリアはこれを貧しい人に与える代りにキリストのために貯えた。キリストに対する愛の現れであった。マリアが葬りのためにこれを注いだ…キリストの死を心の中で悟ったのであろう。実際、12章の前の11章の最後の57節で、「イエスの居所が分かれば届け出よ」と逮捕状が出ていた情報をマリアの耳にも入ったかもしれない。

 いずれにしてもマリアは感じる感覚に富み、常にイエスを誰よりも深く愛されたため、死の予感によって自然と動かされ、いかに高価なものであろうと香油を塗らずにはいられなかったのです。イエスはマリアの心をお見通しで、「この人のするままにさせておきなさい」と言われたのです。イエスとマリアの愛の深さは、言葉を超えて相通ずるものがあったのです。