ヨハネによる福音書13:1~38        2022.10.9

西澤 正文

テーマ:もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる(8) 

 イエスはいよいよこの世を去る日が来たことを悟った そしてこの世の弟子達をこの上なく愛し抜かれました 「この上なく愛し抜かれた」とは、極限に至るまで、そして最後まで徹底的に弟子たちを愛されたということです。逮捕されるまで殺されるまで愛されたということで、これほど深い愛はありません。そして最後の晩餐となった夕食の時、イエス自ら弟子の足を洗いました。

 当時のイエスが生きておられた時代ですが、習慣として食前に足を洗うのを常としていました。足を洗うのは奴隷の仕事でした。万物を支配される神の子イエスが愛するため、奴隷の務めを行うことは、弟子たちを感動させました。イエスが人間となりこの世に来られたこと、そして十字架の死を遂げられたことは、皆愛から出た自己犠牲の行為でした。

 

 

 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6-8)

 「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(8) 関わりを持つとは、愛し、愛されることで、互いに愛し合うこと。これがキリスト教の信仰の本質、核です。

▢むすびとして

 最近、人とできるだけ関わりを持たないような雰囲気の人に出会います。そのような人ばかりでは社会は成り立っていきません。人間関係を自ら断とうとする態度、これ程傲慢な態度はないと思います。神が最も嫌う態度だと思います。自分ひとりで生きているおごりの表れかなと思います。神を愛し、神の子である隣人を愛していきましょう。その第一歩は、「こんにちは」と、自ら心開くことではないかと思います。