ヨハネによる福音書15:1~27         2022.10.23

西澤 正文

テーマ: あなたがたは私を離れては何もできない(8) 

1-17 わたしはまことのぶどうの木

 わたしはぶどうの木、わたしの父・神は農夫。わたしにつながっていながら実を結ばない枝は皆、父・農夫が取り除かれる。しかし、実を結ぶものは手入れされる。農夫は、生活があります。農夫の目的は、良いぶどうの実を育て、収穫すること。そのために手入れをします。実のならない枝は除かれます。他の枝の成長を妨げるからです。目的達成のために、実のならない枝は、容赦なく切り取られます。

 ミカン農家は、年に数回、枝を切ります。手入れをします。農家は、一つでも多く、より良い実を育てるため一年中手入れをしています。実のならないのを防ぐため、実が付き始め、しばらくすると剪定する。農夫のように長年栽培した人には直ぐ判ります。ミカン畑近くを散歩しますと、年2~3回実を減らすため、実を取り除く摘果作業をします。時々、時々、小ぶりのミカンが木の下や道際に

 

ごろごろしているのにお目にかかります。

 信者にとり、イエスの繋がっていることがいかに大切なことか。イエスは、はっきり言っています。「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(5b)と。このことが自覚できるのは、低い姿勢、謙遜な心がなければできません。自分では、繋がっていると思っていても、本当につながっているのか、神である農夫は分かっています。収穫時には結果が出ます。目でわかります。 

▢むすびとして

 「あなたがたは私を離れては何もできない」(5)、だから「わたしがあなたがたを選んだ」

(16,19) 今、このように信仰を与えられ、毎週礼拝に出席し、普段の生活でも聖書を開き、御言葉に接する生活を送っています。このような生活は、いろいろな人との出会い、交わりがあったからです。これらの人々の出会い、交わりが与えられたのは、その背後に神様の導きがあったと考えるほかありません。神様に繋がっていなければ何もできないことを忘れずに信仰生活を送っていきたいと思います。