ヨハネによる福音書16:1-23       2022.11.6

小田弘平

 イエスは十字架の死によって弟子たちのもとから去られた。しかしその時、「わたしはあなたがたをみなしごにしてはおかない」(14章18節)と言われ、イエスの父である神は弁護者である聖霊を送られた。

 聖霊とは何だろうか。自分に与えられた神の恵みを具体的に述べたパウロは聖霊によって「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、(中略)私たちに真理を悟らせる力を与えるために、世界が始まる前から定めておられたものです」という。

 内村鑑三も「神は聖書よりも大なる者である。ゆえに聖書に書いてないことを神は我々の心に(聖霊によって)告げ給うことがある」と彼は自分の体験から言っている。そして「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」という。聖霊は真理を教える者ではなく、私たちの魂に働いて内発的に神の真理を悟らせるものである。聖霊は人格を持っている。私は聖霊についてこれまで狭くとらえていたが、聖霊は大きく、深い人格を持ったものであることを教えられた。私にとって大きな発見だった。

 

 さらに神は私たちに友を愛するという掟を与えられた。この愛するという愛はわたしたちの中から出るものではない。愛は神から出るものであるという。愛するという行為によって神とはどのようなお方かが分かる。友を愛するという行為は宗教を超える人類普遍の真理である。神が人間を創造されたのは、創造主である神の愛から出たものである。キリスト教は宗教の枠を超えている。「友」とは誰だろうか。わたしたちが出会う人すべてが友になる。自分がとうてい許すことができない人をも友とせよと言われる。その際必要なものはすべて神が与えてくださる。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」(ヨハネの手紙一 4章18節)とある。

 イエスに従った弟子たちには大きな不安があった。自分たちも殺されるのではないかという恐れがあった。イエスは弟子たちに「あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」と励まされた。ヨハネは言う。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ」と。弟子たちが世に打ち勝った証拠がある。それは二千年後の今もこの福音が私たちにも語り続けられていることだ。私たちも世に勝つ道を語り続けたい。