ヨハネによる福音書4:1~54  2022.8.7

西澤 正文

テーマ: わたしが与える水は永遠の命に至る(14

 イエスは、これまでユダヤ地方にいてあちらこちらで洗礼を授けていたが、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けていることがファリサイ派の耳に入ったことを知り、ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。ユダヤからガリラヤへ行くには、最短のサマリアを通るのが楽であり、イエスはその道を選ばれました。

 しかし、多くのユダヤ人は、サマリアを避けヨルダン渓谷沿いの険しい道を選び歩いた。何故ならユダヤ人はサマリア人と交際しないからでありました。

 イエスはサマリアの道を選び、シカルと言うサマリアの町に来ました。シカルの町にはヤコブの井戸があり、井戸のそばに座っていたところに女と出会いました。

 喉の渇きを覚えられたイエスは、その女に「水を飲ませてほしい」と言いましたが、 女は、「ユダヤ人のあなたがどうしてサマリアの私に水を飲ませてほしいの頼むのか」と聞き返しまし 

た。イエス「あなたが神の賜物を知り、わたしを知っていれば、あなたからその人に水を求めただろう。そしてその人はあなたに『生きた水』を与えただろう」と応えたのです。 

 

 ここでイエスが言われた「生きた水」とは、神に対する人間の霊的な渇きをいやす「いのちの水」です。肉体の渇き、熱中症対策で水分補給している水は、健康維持のためです。

 生きた水は、魂の渇きを潤す水であり、御霊による新しい命です。古い自分から新しい自分の生まれ変わる水であり、神から「いのちの水」(聖霊)をいただいて新しい命を与えられる水です。 

 「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める」(詩編42:1) この鹿が渇き切った喉を潤したく必死になって求めるように、切に魂が欲する水です。この水は、生きた水、命の水であり、決して乾くことはありません。何故なら、「その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出るからです。」(14)

▢むすびとして

 涸れた谷に鹿が水を求めるように、私たちも、魂を潤す水、永遠に乾くことのない「いのちの水」を切に求める生活を続けていきましょう。