ヨハネの手紙Ⅰ2:1-27         2022.5.15

西澤 正文

テーマ:兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。(10)

 ヨハネは、新しい掟を書いていると言います。新しい掟とは何でしょうか? 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ福音書13:34)互いに愛し合うことが新しい掟です。この新しい掟は、光輝いています。その光とは、イエスであり、兄弟を愛します。

   兄弟を愛する人は、光の中にいます。また光の中にいる人はつまずくことはありません。

   その一方で、兄弟を憎む人は、闇の中にいる人で、自分がどこへ向かっているのか分かっていません。闇がその人の目を見えなくしたからです。光と闇の関係は裏腹、相反する関係で、光が輝きを増せ

ば、闇は暗さを増します。

「世も世にあるものも愛してはいけない」(15)

とはどういう事でしょうか。世にあるものとは、肉の欲、目の欲、生活のおごりです。これらは、御父から出ないで、世から出ているからです。

 御父から出る者は絶対的なものですが、世にあるものは絶対的なものでなく相対的なものばかりです。世とは人間社会です。人と人、他人と私の関係で比較の世界です。

相対的とは相対すると書きます。どんぐりの背比べの世界です。「これぞ!」と言った絶対的な価値観がありません。人それぞれ自分の意見を持ち、食い

違うことが多々あります。人それぞれ、10人10色と言われる所以です。

 私たちが生活する社会は、真に相対的社会そのものです。人気のあるものが売れますと消費量が拡大します。売れる品は益々値が上がり儲かります。経済活動は、需給のバランスで成り立ちますので、企業は人気のある品物を拡大生産します。経済活動の

 

 

基本は競争原理です。常に他社と競争し、収益増大を目標とします。企業の従業員は、高収入を目指し仕事人間となります。高度経済成長の時、日本人は

 諸外国から「エコノミックアニマル」と言われ揶揄されました。

「世にあるものを愛してはいけない」(15)とありますが、肉の欲を言っています。具体的には、「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。」(ガラテヤ5:19-21)これは罪の目録と言われ、御父からでなく世から出るものです。これら全ては自分中心で、他の人よりも優位に立ちた

 い思いが潜んでいます。自分を愛することを優先する人の姿です。

特に悪の根源と感じるのは、「そねみ、ねたみ」ではないでしょうか。嫉み、ねたみは、他人との比較から生まれます。あの人よりも優位でいたい、負けたくないと言う競争心から生まれます。ナンバーワンを目指す人間です。

資本主義経済の中で生活する人間は、正直、避けにくいかもしれませんが、十字架を思い起しますと、十字架は、神と人の縦の関係である縦棒が地面に突

 き刺さり、立っています。一方、人と人の関係である横棒は縦棒があってはじめて縦棒に繋がります。神に繋がることの大切さがわかります。このことを思い起こせば、私たちは人を見ず神を見る事の大切さがわかります。

▢結びにかえて

 兄弟を愛する人は、光の中にいるからつまずかない。どうしてでしょうか? 神、キリスト・イエスに繋がり自分の現実の姿=罪を示され、自分は如何に小さな者かを常に示され、謙虚な心を与えられる

 からです。光を受け光の中で明るく前向きに生活しましょう。