23:1-35       2020.3.1

                    小田弘平

  当時ユダヤ人は政治的にはローマに支配されていた。ローマはユダヤ人を直接統治しないで、イエスの時代には行政と司法の権限をユダヤ人の自治組織に委ねていた。大祭司を議長とする最高法院に召喚されたパウロは議員たちの前で、臆することなく堂々と自分は「今日に至るまで良心に従って生きてきた」と言明する。 

この「良心」は、人間を創造された神が人間に与えられたものである。創世記1章27節に「神はご自分にかたどって人を造られた」とある。神は人間を神の御旨を行うものとして良心を付与された。信仰にあるなしに関わらず、どの民族もこの良心を持っている。

 パウロは陳述の冒頭で、「兄弟たち」と呼びかける。この言葉を使ったのは、パウロが、イエス・キリストの福音をユダヤ教社会が 受け入れることを

 

 

を願っているためである。しかしユダヤ教徒はイエス・キリストの福音を排除してしまった。 

しかしその後、キリスト教がローマ帝国内で優勢になって以来、今度はキリスト教徒が、逆にユダヤ教徒を排斥するようになり、ユダヤ教徒を圧迫し始めた。もし、キリスト教徒がユダヤ教徒をパウロが呼びかけたように「兄弟」として交わりを持っていたら、世界の歴史は変わっていただろう。 

最高法院ではパウロの処遇を巡って紛糾し、大混乱に陥っただけでなくパウロ暗殺計画の陰謀さえ生まれた。このことを知ったローマ軍の千人隊長は、ローマ市民権をもつパウロを救出し、カイサリア駐在のローマ総督の下にパウロを護送した。この結果、パウロが抱いているローマへの伝道の使命は守られることになる。