26:1-32     2020.4.5

                                       小田弘平

  カイサリアに護送されたパウロを、ローマ総督フェリクスはユダヤ人に気に入れられようとして二年間にわたって監禁したままにしていた。ローマ総督の後任者フェストゥスはパウロを裁判にかけたが、パウロは皇帝に上訴した。数日後、後任の新総督フェストゥスの来任祝賀にアグリッパ王(アグリッパ一世の子)が来て、監禁中のパウロの尋問に参加した。

 このとき、パウロは臆することなく、大胆に自分の回心を率直に語った。 

 パウロはユダヤ教の中でも、最も厳格なファリサイ派に属し、律法を守り、安息日や断食を行い、復活の希望を持っていたと語り始める。新しい「イエス・キリストの信仰」を信じる者はユダヤ教の神に反するものだと考え、「イエス・キリストの信仰」を表明する者を徹底的に弾圧し、彼らを捕らえて牢に入れ、彼らを死刑にすることに賛成していた告白する。 

そしては「イエス・キリストの信仰者」を捕らえようとユダヤの国だけではなく、外国にまで出かけて迫害をした。(初期のキリスト教徒は国外に脱出してまでも、信仰を守ろうとしていた。彼らは信仰による難民だった。その後、キリスト教が優勢になると、立場が逆転してユダヤ教徒が難民となって、国外に離散した。 

  我々はこのことから、信仰上の立場を異にする人に対して、寛容にならなければならない。しかし、世界の歴史は信仰上の違いに寛容ではなかった。宗教上の相違から政治的要因が絡まって戦争さえ起こしている。) 

その任務の途中、突然天からの強い光がパウロの周りを照らした。イエスがパウロをイエスの名を伝えるために選んだ瞬間である。パウロは直ちにユダヤ教の会堂に出かけて、「イエスこそ、神の子である」と証言し始める。 

どうしてこのようなことが起きたのか、とにかく常識では考えられないことが起きたのだ。それまで信じていたユダヤ教を捨て、パウロが迫害していた「キリスト教」の教えを信じるものに転向した。パウロは日頃から真実なものを求めていたのだ。パウロは天から示されたことに背かなかった。主イエスの恵みの分け前にあずかったのである。 

パウロは私たち異邦人に語っている。パウロに示された恵みとは何か。 

「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」(フィリピの信徒への手紙129節) 

このようなパウロの弁明を聞いたフェストゥスは学

問のし過ぎで頭がおかしくなったと酷評した。信仰とは信

仰を持たない人から見れば、頭がおかしくなったように見える。