2021年 司会者感話

(1月)
・コロナで大変の中、1月9日(土),10日(日)の2日間、冬期聖書集会をオンラインで参加でき感謝でした。「神は信じているだけでわたしたちの友になっていてくださる」この言葉が心に残りました。厳しいコロナの只中で、ほほえましい話となりました。競輪場配当金20万円渡すのを200万円渡してしまいましたが、無事返って来たと言う話を聞きました。いい話を聞いて心が明るくなりました。
・昨年もどうにかクリアできました。新年も1カ月経つところですが、まだ釈然としないところもある。気持ち新たに向かっていきたい。健康を維持し日常生活を自分なりに充実したものにしたい。コロナ感染に遭わないようにしたい。持病の病気が出てこないようにしたい。耳の故障が出て、子供は補聴器を用意してくれたが思うようにならなかった。昨日、子供と話したが「よく聞こえるようだ」と言われたが、自分でもそんな気もする。皆さんのお世話にならないようにしたいと願っている。
・(今年の目標)
△健康維持のため体に良い事をしたい、例えば運動をし、食事は食べ過ぎないよう腹8分目で押さえたい、睡眠は十分にとりたい等々が頭に浮かぶ。しかし、健康維持は、生活の条件であり、本来の目的、例えば、何かに社会の役に立ちたい、を目標とした。現役中の仕事がそれであった。退職し、社会的な関わりを持ちたい。ボランティア活動…。退職すれば自ずと人との繋がりが細くなる。せめて、何かに興味、関心事を持つ ようにしたい。今の私は、清水キリスト者共同墓地管理会の理事をしている。その課管理会の会報の創刊号を発行することが出来た。先日、用事があって久しぶりに清水区役所へ行った。その時、「西澤さん、生活相談員が病欠しているので、また来てくれるでしょ」といわれ、驚いた。
△キリスト今日の隣人愛は、人との関わり、交わりがあってこそ行うことが出来る。もっと多くの手紙を書きたい、集会の講話を凝縮した内容をハガキで送りたい…等々の願いがある。
△母が昨年5月、天に召されたのでその分時間ができた。今夏までには囲碁マスターしたい! 常に柔らかな心をもり、好奇心を持ち、色々なところに興味関心を持てる人間でありたいと願っている。


(2月)
・最近、水野源三の詩集を読んでいる。澄み切った信仰に触れる度、自分の醜さを感じ、氏の信仰に憧れる。 詩「隠れている」冬の花には神の恵みはないだろうか、隠れている、隠れている いつも見慣れている庭を見て書かれただろうか…
 私、部屋の中から庭を眺めるのが好き。今、ほとんど枯れている。水仙、まだ咲いていない。 娘、菊が枯れていて根元を切った。次の命が芽生えていた。我々見える部分だけに目を奪われがち。神は見えない部分にも命を与えられている。土の中に神の恵みがある。見えない部分のも大事なこの隠されている。
・テサロニケ5:16「いつも喜んで 絶えず祈れ 全て感謝を」 平凡な生活の中にも小さな感謝いっぱいある。 そのようなことに感謝することいっぱいある。腹立つことがあっても感謝をして生きたい。もう一度御言葉にもどると感謝の気持ち、いつも中途半端な私。イエスがいらしたうれしさ、感動を忘れずに生活したい。
・夫の死亡から5年間が経つ。森さん任せであった。亡くなってみて居場所の言い心地良さ改めて思う。5年経ってもまだ寂しい。寂しさが胸に迫る。盛さんに線香と手を合わせ、礼拝に向かう。友人と外出の時も同じ。特に礼拝時、ほほえんでいって礼拝に行ってらっしゃいと言ってくれているよう。心から優しい人であった。近いうちに墓地に行きたい。
・もう直ぐ、4月4日イースターを迎える。また、3月11日東日本災害を迎える。コロナ禍に気を付け、前進したい。 人にやさしく己に厳しくを忘れず、また、心に豊かさを保って生活したい。聖書の御言葉が心に染み入ることを確認して日々過ごしたい。


(3月)
・隣人愛について。
 コロナ感染により外出がままならず人と会うことが少ない生活となる。この様な中で如何に人との触れ合い、繋がりを持つか…手紙、電話、メール、オンライン等盛んな今日であるが。 普段できなかったことを新しく挑戦する人もいる。 高齢の一人暮らしの婦人で熱心に各種団体・組織に献金する人は、PC,オンラインができないので、これからは「読めなかった本を読み、聖書を読みたい」。天国への身支度をしたい。この女性は、神奈川から東京集会の礼拝に参加。約1年後、故郷である南信州・阿南町へ移り生活するとの事。いつか訪ねたい。
 隣人愛の実践について。
 現役中は仕事一色でした。公務員であるため自分なりに人間関係に注意した。 個人情報保護? 果たしてどこまで保護して隣人愛ができるか…と、考えてしまう。 個人の情報を保護するのは、悪用する人、企業がいるから? 先ずは、悪用する人、企業の罰則を厳しくすることが第一ではないか。その裏で個人ナンバーにより、せっせと個人情報を集めて管理を強化することが進んでいないか、と心配が膨らむ。 安倍政権時、森友加計・桜を見る会の時、会議録廃棄しました等々、いいように情報管理し、結局うやむやのままで政府のやりたい放題の感がある。ある時は「個人情報に関わるもので公表できない」と言い、またある時は大切な会議記録を「既に廃棄したと言う。政府は都合のいいように使い分けている等に感じられる。我々、市民レベルでは、個人情報保護を意識すると切りがない。愛は信頼が基本です。愛は、プライベートなこと、実際の生活状況、生活環境(本人の悩み、不安、悲しみ、家族の様子等々)が分からないと深まっていかない。昔は、今で言う「個人情報」は垂れ流し状態でした。つい数年前までの広報放送、「何々さんが行方不明となりました。年齢は、服装は…、御心当たりの方は何々までご連絡ください」「先程の行方不明の方は、無事に保護されました ご協力ありがとうございました」と、有線放送で流れた。のどかであった。合併後、井川へ民生委員・児童委員協議会の月例会に参加した。「遠くまでよく来てくれました」「どこそこの〇〇さん、体が悪く駅近くの病院に入院しているんだって」 会の始まる前は情報交換の場となり、みんなで助け合おうという姿が見られた。 昭和時代は、個人情報等と言う固い言葉などなかった。お互いに助け合って生活し、垣根はなかった。信頼し合っていた。少なくてもクリスチャン同士は、昭和の頃の着飾らない普段着のままの交わりを、と願う。

・コロナの中にあっても礼拝が続き、聖書から1週間始められ感謝です。来月の4月4日はイースターです。昨日、地震が起きました。地震と分からず、初めは体調おかしくなったのかな?、と思いました。震度2でした。東北は震度5。
先週日曜日、礼拝の帰りに天理教の壁画に「感謝 慎み 助け合い」と書かれた文字が目に入りました。この言葉を忘れず歩んでいきたい。
日曜朝5時、ラジオのライフラインを聞きました。牧師が「生きる耐える4原則」を話されました。「立ち帰る 静かにする 落ち着く 神を信頼し人を信頼し皆仲良く」 心に残りました。
3月3日愛宕霊園へ行きました。12月26日森さんが召しここに眠っています。5年振りに手を合わせ嬉しかった。
・昨年、交通事故に遭いました。今年、申告やることが出来た。最近、目がしょぼしょぼして来た。中村眼科に受信したら「緑内障」を言われた。しかし、いつも通り集会に参加でき感謝。石原兄から頂いた手紙を読み返し、改めて励まされ感謝した。
石原兄亡くなり、奥様も亡くなられた。石原兄が亡くなる前の手紙に句が記されてあった。西澤夫妻、集会のこともありました。西澤兄が集会を継いでくれ心配なしと。神が祝福してくれた。西澤しっかりやってくれ心配なしと。兄は安心して天国へ帰られた。夫婦これからも天国から集会を守っていってほしい。

 

(4月) 

・コロナの終息が見通せない。感染者増加に不安です。一日も早く安心できる日を望みます。一人、一人、感染防止の手立て考えたいです。人込みを避けるなど自分でできることをやらなければならないことを行動に移したいです。昨年の今よりも緊張感薄れ、慣れすぎている。毎週、熱海の病院に行っているが、熱海は東京に近く若者が多い。卒業旅行の人で一杯です。行列で待つ 緊張感が足りないと思う 政府は、夜間営業は何時までだけでなく、飲食業への締め付けだけでなく一人一人が気を付けないといけない。元に生活に戻りたいです。しかし果たしてそのまま戻るのではなく、今までの生活を考えなければいけないと思う。イエスの復活、イエスは亡くなられ3日後によみがえりました。復活されたイエスのより新しい命が、永遠の命が与えられました。一方的に、それは恵みそのものです。自分の生き方を見詰めなければと思います。

・先週、復活について学びました。復活は事実と思いました。困った時、苦しい時、イエスは現れてくれます。5年前のガンの時、神を思い神の存在を感じました。普段、私は人に頼むことが多いです。普段でもイエスを信じ頼っていきたいと思います。先週、イースターでしたので礼拝が終わり、皆さんでキリスト者墓地へ行くことができました。その時、元木兄が墓でふらつきましたが、伴姉、斎藤姉が、兄を支えてくれ、感謝でした。兄は、墓地に行くことができ、大変喜び、感謝していました。

・以前清水聖書集会に席を並べていた姉妹から、電話があった。私たち礼拝に出席している兄弟姉妹の名前を一人ずつ挙げ「〇〇さん、元気」「〇〇さん元気」と気遣ってくれていて、とてもうれしかった。姉妹も「元気でいるから皆さんによろしくね」との伝言でした。いつかまたどこかで一緒に主を賛美する機会があることを心から願いました。信仰を同じくする兄弟姉妹のつながり程、励まされ南桑目を与えられるものはなく、信仰を与えられていることに感謝しました。 

・皆さんの一週間はどのようでしたか。触れ合いが少なく一人になりがちな昨今です。主にある祝福された出会い、交わりがあればと願いますが、この一週間かなわなかった。今日の礼拝出席でき感謝。充電したい。コロナの中、イエスを通し安らぎが与えられるよう祈りましょう。

 

(5月)

・今、皆、忍耐を強いられている真只中! ロマ5:3では、「苦難は忍耐を 忍耐は練達を 練達は希望」とあります「練達」とは、ものごとに熟練し理解が深く達人の域にある……? どんな状況下でも対応できるという事でしょうか…。能力、柔軟性を備えた人を指すのか。今ひとつはっきりしない言葉と思います。希望は前にある、希望を信じる、希望を失わないでいきましょう。約束を信じた人アブラハムは、神の言葉に従い行先も知らず出発しました。へブラ愛人の手紙では、希望をもって歩んだ旧約の人々が登場します。ヘブライ人11:1信仰とは望んでいることを確信、とあります。

 まとめとして 「練達を信仰」と置き換えて読みたい。「苦難は忍耐を 忍耐は練達=信仰を 信仰は希望を生む」と呼んでいきたいと思います。

・先々週の春期聖書集会は、コロナの中にあって開催できうれしかったです。神の国について学べました。家で神のこと考えたり聖書読んだりしても中々理解ができませんが、学べてよかったです。神のこと考えて過ごしたい。コロナ疲れでしょうか、バスを待っている人が殺されたニュースを聞きました。怖いです。悲しいです。清水で女子生徒が歩いていた時、髪を切られたことを知りました。学校に飛び込み、警察へ通報し事件が明らかになりました。やっていい事悪いことの判断がなくなっているのでしょうか…。コロナ故にこそ助け合っていかなければと思います。神を忘れ生活しがちです。

 剣持姉と共に礼拝したいです。四国徳島の吉村夫妻は、体調すぐれないとお聞きしていましたが、元気そうな姿を拝見できてうれしかった。吉村夫妻の上に祝福をと祈りました。 我が集会は高齢者多イですが守られていると思いました。5月23日ペンテコステの日 前向きに素直に手を差し伸べるやさしさをしていきたいです。保科姉が守られていると思います。同じ時間に礼拝を守っていると思います。

・世界中コロナが蔓延しています。毎日その対策に追われ大変な状況にあります。幸い静岡県は比較的穏やかです。この周辺も感染者がいることを聞きません。私が癌で入院中、石原兄から見舞いの便りを頂きました。その中に、「『父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。』くれぐれもお大事に」と記されてありました。 

 私、事故のリハビリに通っています。何とか集会に参加できています。少ない人数ですが   感謝です。うれしい。少ない人数ですが、2-3人の中に神がおられる。神の愛の内に過ごさせてもらっていて感謝に耐えません。今しばらくよろしくお願いします。 

 

(6月)

沼津岳南教会に参加。昨年の今頃、コロナで会えなかった。配信で参加。今年は集ることが出着て感謝。 清水聖書集会にも参加できて感謝。改めてその恵みを感謝しています。以前隠れて礼拝しました。純粋に受け継がれていることを忘れてはいけないと思います。マタイ18:20に「2,3人集まる中に私がいる」とあります。魂の自由は一人一人分け隔てなく保証されています。そのことを感謝して歩みたい。

斎藤さんや私は、今、早朝に散歩しています。ここ2か月ほど前から強くなった日差しが気になり、夕方の散歩を朝に切り替えました。私の住む山切地区は、丘や川があり、地形的にアップダウンが多いです。竹やぶの近くを通ると風で竹の葉が揺れ、サラサラと音が聞こえます。心が安らぎ、神様の無限の愛、限りない命を感じます。今後も体と心の健康のため散歩に励みたいと思っています。

・三浦綾子の「祈りの風景」を読みました。船出の時、どこに行くか知っている。しかし神は自分がどこに向かって行くかわかっていない。心に響きました。今コロナの中にあっても毎週集会守られてうれしい。感謝です。一昨日、結婚し三島にいる友人から電話がありました。姑と友人との関係の話でした。上手く答えられませんでした。友人は姑と一緒にいると息が詰まると言っていました。私は、「良くわからない」とはっきり言いましたら怒ってしまいました。「あなたは姑と一緒に住んでいないからわからないのよ」と言われました。わたしは「好きになった旦那だから上手くいかないことはない。優しい言葉を掛けられるのでは…」と言っている最中に電話を切られてしまいました。その夜、神様に祈りました。その人から夜11時頃電話がありました。「ゆかちゃんの言う通りかも。

今日父の日です。母の日はよく覚えていますが、父の日は、母の日と比べ印象が薄い感じがします。父に優しい言葉をかけてほしいな、と思います。

 

(7月)

・3、4日前、夕方4時過ぎ散歩に出かけました。1時間が過ぎたあたりで、体調に異変を感じました。急にだるくなりました。気が付くと体がひんやりし、汗をかいていたことに気付きました。途中で休憩しようかな…と思いましたが、今まで、散歩中に休憩することがなかったし、何よりも年寄じみて嫌だったので、休まないで帰宅しました。しかし、このような体験は初めてのことでショックでした。妻から「それ、もしかして熱中症かも」と言われた。そういえば睡眠不足であり、水分の補給も不十分かな…と思いました。 睡眠は5時間程度の毎日、昼食後水分は一滴も取っていなかった。 急にだるくなり、心臓も負担がかかっていることに気が付きました。 もしかして、本当に熱中症の症状かも、と思いました。今後注意したい。昨年の夏、姉は熱中症の症状を起こし、外出先からそのまま脳外科に受信しました。急に体調がおかしくなり、姉本人が一番驚いたようです。梅雨が明ければ熱中症にかかりやすいと言われていますので気を付けたい。皆さんも気を付けてください。 

・今、一番の楽しみは、庭に植えたしし唐、おくらの収穫です。梅雨中、雨の好きな花は成長し、雨に弱い花は萎みます。熱海の土砂災害で多くの人が行方不明のままです。避難を余儀なくされた人もたくさんいます。我が家は、山に近く他人ごとではありません。 九州南部も大雨です。また、コロナ感染者が増加しています。特に若者が増えているようです。感染力が強いデルタ株が猛威意を振るっていることも気にまります。学生はリモートによる授業が続き気の毒に思います。今学んでいるヘブライ人への手紙で、「鍛錬」を説いています。幸せと不幸せは隣同士と親に言われたことを思い出していますが、その通りだなと思います。被災者はじめ辛い生活を強いられている人たちのことを思いやって生活したいです。

・コロナの中で毎週休まず礼拝が開かれていることに感謝します。私は、皆さんに感謝していることがあります。手足がふるえますが、後ろから気を使い、笑わずサポートして頂き感謝しています。先週の金曜日、花火の音がしたので、窓を開けたら真正面に花火が見ました。 30分じっと静かに眺めました。自然と心が和み、気持ちが明るくなりました。熱海では、土砂が川のように流れ大きな被害に遭いました。まだ行方不明者が何人も発見されていません。すでに2週間が経過しました。一日も早く見つかってほしいです。  

・7月23日東京オリンピックが始まった。クリスチャンは神の栄光と言うが、金メダルはクリスチャンにとって何だろうか? 勝者は神を思い、常に平安な心で日常を過ごすことを身に付けた人ではなかろうか。ここも神の御国になるように。現実の生活の中で、努力することもなく、無責任に生活し、周囲への感謝、神への感謝なくしてない。日々研鑽を積みたいと思う。

 

(8月)

・猛暑続いています。体が弱っている人多いと思います。 私もそうです。気を付けていましたが、この夏もしんどく横になること多いです。すぐ横になります。水分摂取に努めていますが、体が受け付けないです。病院で点滴してもらっています。体が弱っていることを感じます。起きて体を動かしますが、心もくじけそうになります。イエスは、ゲッセマネで祈りました。弟子たちは、イエスの近くで眠ってしまいました。イエスの弟子たちに語り掛けた「誘惑に負けず祈りなさい」の言葉は、私に掛けられているように思います。皆さんにも声掛けされていると思います。コロナ感染の医療従事者は大変です。汗を流し体力を使っています。コロナに掛かっている人も大変です。祈っていきたいです。

・先週、小田姉は、寝たり起きたりの生活であると伺いました。 心なしか、話す力がなく感じました。沼津の自宅から自動車で1時間かけて参加されています。司会の当番の責任感じて参加されたと思いました。清水集会を大切に思っていてくださり感謝です。姉を拝見し、集会で亡くなられた兄弟姉妹の信仰を思い出しました。神を信じ繋がっていきたいという思いが強くなりました。

・今朝のラジオで「ウィルスは昔から人間社会に生息していたと言われていて、うまく付き合うしかない」と、養老猛氏が言っていました。過度にカリカリ神経を使えば、ギブアップしてしまいます。今迄よく「安心安全、不要不急」と言う言葉を聞いて来ました。しかしこの言葉は、人により異なります。本人が判断するものです。最近、少々聴き飽きた感じです。 「密集、密接、密閉」の3蜜にならない様にここら崖なければいけないと思います。この言葉は、大事と思います。感染すれば他人に迷惑をかけるからです。家族や医療機関で働く人に迷惑をかけるからです。自分の体は自分で守る、人様に迷惑を掛けないことは、基本中の基本と思います。忍耐して時を過ごす時期です。普段できないこと、やり残したことはないか…。疎遠になっている人に電話を掛けたり、手紙を書いたりし、今そこ密な交わりをしたいと思います。字が下手とかは言い逃れです。一字一字、心を込めて書けば、気持が相手に伝わります。上手・下手は、読み手が判断するものですが、私の親しい書道家から「字が上手、下手」とか一度も聞いたこと葉ありませんでした。気持ちが伝えられればそれで良し、です。

 

(9月)

・今年もいよいよ9月を迎えました。2021年も、残り4か月を切りました。いつの間にかセミの鳴き声も少なくなったよ様に思います。百合の花も枯れ、道路沿いのコスモスの花が目に付くようになりました。朝夕の風もひんやりとしてきました。秋の気配を感じない訳にいきません。

 散歩する人も多くなりました。散歩に励む人は天候に敏感です。真夏が去ったことを感じ、散歩する人の姿が多くなりました。特に高齢者は、酷暑の収まる日を待っていたかのように元気よく歩く姿を拝見します。 

・暑さが和らいできました。睡眠をしっかり取り、また、バランスある食事をしたいと思います。昨日の県内コロナ感染者数は134人でした。昨年、清水聖書集会では、元木兄が硬膜下血腫で入院しました。中嶋兄も血管の手術のため入院しました。 

    国境なき医師団は12年前のハイチ地震で派遣され活躍しました。その一年後我が国は東北沖で地震が発生し甚大な被害を受けました。中南米はフランスから独立しましたが、その時、保証金を払い貧しい国となりました。医師団はハイチで100人活躍しました。我が集会から毎年献金していますが、役に立っていれば嬉しいです。

 地震どこの国で起きても身近に感じ、心配になります。中南米と思うと遠いと思いますが、献金が少しでも役に立てば入れしいです。

 週1度、集会に参加でき感謝です。施設で暮らす保科姉の事、時々元気かなと思い出します。

・私の好きな聖句の一つがロマ5:3-5です。「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」

 台風14号は、何事もなく無事に去り良かったです。神がそのようにされたのだと思います。自民党総裁に4人の候補をテレビで見ました。国民を守る人を選びたいと思います。

 清水聖書集会に前澤姉が戻り感謝しています。嬉しいです。神がこの集会に戻したのかと思います。これからも続けて参加してほしいと思います。 

 金曜日「朝まで生テレビ」を見ました。今日の夜「アンと言う名の少女」が放映されます。赤毛のアンの第2作みたく、今から期待しています。

 

(10月)

・今年もあと3か月となりました。コロナ感染の不安から行動範囲も狭くなりましたが もっと動き回りたいのが本心です。春夏秋冬の季節の移ろいを感じながら過ごしています。彼岸花が咲き終えましたが、金木犀の香りに酔いしれています。果物は、梨、無花果、ぶどうを食べ、現在、栗、柿(富有、次郎、ヨツミゾ)、極早生ミカン、リンゴが出回っています。これから早生ミカン、ゆら、はるみ、青島、ぽんかん、デコポン、八朔、甘夏(夏ミカン)等々順番に店頭に出てくるのが楽しみです。

それにしても、一年が大変早く過ぎていくように思えてなりません。今年、今まで何をしたか…後悔しないよう、計画を立て為すべきこと済ませたい都思います。一日、一週間、ひと月の単位で計画を立てたい。今年、残り3か月間の計画立てたいです。

共同墓地管理会理事、伝道会運営委員の仕事を始め、友への便り、読書、庭の草花植え替え、掃除等、しっかり実行したいと思う。時に、外に出て自然の風景眺めたい。

高等学校を定年退職された元校長が、就職浪人中、よく読書していました。「テレビに子守されず、読書の時間を確保した生活に心がけている」と言われた言葉、時々、思い出しては自分の励みにしています。

▢10月4日天国へ帰られた「保科たみ姉を偲ぶ会」

・告別式に出席して頂き有難うございます。集会の方が告別式で母の思い出を語ってくださり、大変印象深かったです。母が喜んでいると思う。確かな信仰を基に集会の信仰の証しができ感謝です。ここの来れて良かったですが、もう少し早く来れればよかったと思います。

・心温まる礼拝の皆様に送っていただき感謝しています。大切にしていた喜びをもって過ごした 

・コロナでなかなか会えませんでした。突然の死で驚きました。やっと集会に来られるようになったのに…残念です。3年前、家内を亡くしたが、たみさんも突然でした。仲良し3人が一緒の職場で家内は良くして頂いた。西川さんの紹介でなく政池先生の紹介で独立学園高校へ行ったと知り驚きました。政池先生は、親身になってキリスト教の信仰を教えられたと思う。だからあれだけの信仰を持たれたと思いました。山形県出身の新吉さんと結婚され、その後の家庭生活、子育て、しっかりされたと思いました。幸せだったなと思います。自分を思うといい加減でした。交わりを持たれた人には申し訳ないと思います。悲しくなります。悔やんでも悔やみきれません。信仰をもって天国へ行ける人は幸せと思います。私も、少しでも天国へ近づくような生き方をしていきたいと思います。

尊敬する信仰の先輩でした。ご主人の新吉さんを無くしてその存在を強く感じていたようでした。虚しさを抱えていたように思いました。天国が近くなってきたように感じました。生活が信仰に基づいていたと思いました。子供に感謝していました。「優子はコマネズミのように動く」とよく言っていました。墓を綺麗にし感謝していました。望さんは夕ご飯を持っていったり、桜が丘病院に入院中は洗濯物取りに来てくれ有難い、と言っていました。入所のタイミングが良かったと思いました。辛いと思っていたでしょうが、市立病院入院中、太い管がどんなに痛かったかと思いますが耐えていました。個室は間違えでは?と思いましたが、快方へ向かい大部屋へ移ることができ良かったです。桜が丘でも快方に向かい喜びました。 

集会に来てくれるのかな…とずっと思っていましたが亡くなられました。告別式の知らせを受けり涙が出てきてしまいました。当日、コロナ接種の日と重なり出席できませんでした。たみさんには良くして頂きました。「聖書、一緒に学んでいこうね、何か心配事、困り事があったら相談してね」と言っていただきました。施設に行った時、辛そうでしたが明るくされ「元気だよ」と言って迎えてくださいました。告別式、参加できず無念です。たみさんに出会えたことは神の恵みと思っています。亡くなられてしまったけれどたみさんの事を忘れずに集会に参加したい。覚えて参加したいです。 

・たみさんとお会いして5~6年経つと思います。たみさんと席が隣で、色々教えて頂きました。感謝しています。入院して休んで久しぶりに礼拝に出席した時、お菓子を頂きました。内緒で頂きました。律儀な方でした。本当にお世話になりました。悔やみました。

・色々なことを教えられました。自宅を訪問した時、小さな机がありました。椅子が2つあり、主人が座った席よと言っていました。土川外科医院は名医ですよと紹介して頂きました。足が痛くタクシーで通院しました。清水聖書集会に徳島集会の吉村兄を招き、お話をお聞きしたいようで、その時は集会の参加を臨んでいたと思いました。  

・先日、江尻自治会館の前を通った時、目に留まった御言葉がありました。「拶は心と心の挨拶だよ」です。 10月4日たみ姉が天国へ帰りました。元気な姿で帰って来てほしかった、私の本心です。悲しいです。これからも皆さんで助け合ってやっていきたい。保科姉の感話、いつか一緒に共に天国で暮したい、とのこと感謝です そこまで思ってくださっていること感謝です。たみ姉のところへ面会来ますと、いつも「会いたかったのよ ゆっくりしてって」と言ってくれました。色々教わること多かったです。信仰が豊かでした。たみさんにもう少し教わりたいと思っていました。たみ姉のことを忘れずみんなで集会仲良くやっていきたいです。わたしは皆さんに感謝していいます。私、小さい頃から手足が震え、お茶が出せませんでした。足も震えています。皆さんが後ろから暖かく支えてくださり感謝しています。

・最近、目、頭が悪くなり本も読めません。最近、ある文章を読みました。田舎の人のことです。東北の山間に住む人は、村から出ること機会がありません。それでも、世界を旅するような心を持っていいました。どうしてそんな喜び、魅力あるの? 天の父にベルトがしっかり掛けられている、神と繋がっている、どんな状況でも、と話されていました。心の傷が癒され、さらに成長する秘訣。それは、何事においても神のまなざしがある、と話されていました。

これを読んで私は全て神に祈ろうと思いました。心から祈る事少なくなってきていると感じました。しっかりしなければ、せっかくここにこうしてつながって皆さんに守らている生活、しっかり心に刻み、残りの人生しっかり生活したいと思います。 

 

<10月31日 感話会>

・老人会役員の方で認知症で攻撃的おじいちゃんがいました。あんたたちは黙っていなさい! 私黙っていました その人が急に代わって優しい人になりました 詩編37:23-24を思い出しました 「主は一歩一歩定める その手を捉えていてくださる」 

私に攻撃するのはいいですが上の役員の方への攻撃が耐えられません 祈りました 地区の会長さんに怒った 好きな讃美歌:249 356  

・毎日朝祈ります コロナ終わって平和な世になりますようにイエスにお願いしています  

好きな讃美歌:320 

・最近、わたしを温かく迎え入れる皆さんに感謝しています これからもずっと皆さんと礼拝守っていきたい 意見の食い違い仲たがいしてしまったらその日の内に話し合い解決したい たみ姉に感謝しています よく施設に通いました たみ姉体調悪くても優しくされ祈られた 帰る時姿見えなくなるまで見送ってくれた感謝 毎日、朝・晩、兄弟姉妹の顔思い出しながら一日無事終わったこと祈る 自分の事ばかりでなく、隣人のこと祈れるように、と たみ姉は召されましたが「我らの国籍は天にあり」の聖句が響きます 夜、星、月を眺めると癒されます 綺麗に見え心なごみます 西澤兄の感話「召された人の様子が見られたらいいな…」 夫・森、たみ姉、ナカ子姉の顔見たいなと思います

好きな賛美 298 262 310 

11月26日は森が召され6年 夜7時21分でした 18歳の時から支えてくれました 皆と仲良くしていきたいですしこれからもずっと清水聖書集会の礼拝参加したいと願っています

・10月7日の告別式で保科たみさんの顔みたら母の顔浮かんできました  

 好きな讃美歌:405 496 

・たみ姉の告別式は心がこもっていたと思いました 健康でいられることに感謝 特定検診異常なしでした たみ、ナカ子両姉を思い出すと心和みます 

この前、小田兄の講演「しんがりをあるく」ですが、近くで拝見できました 文章をしっかり用意されていました 講演の責任を感じ、相当時間をかけているなと思いました 

満蒙開拓団の当事者を題材にされました 満州に渡った方々は苦しみながら責任を黙々と全うされました 責任感が強いと感じました キリストの教えを信じるだけで有難い、幸せに感じる 御言葉を学び、自分も責任あるんだ、と思い始めています しんがりの人に続いていけたらと思います 聖書を共に学び共に講話を聞けたら嬉しいです 神の御心に従う…、まだまだ家族、自分を優先して生活してしまいます 斎藤姉が他の集会の方を祈ること大切に思います もっと貧しい人苦しんで着る人への祈りを通し、神に繋がっていたいと思います  好きな讃美歌:312 320 39 

・コリントⅠ13:13「信仰と希望と愛、この3つは何時までも残る。その中で最も大いなるものは愛である」 今日の暗礁聖句として準備した聖句でした 最も大事なもの「愛」 

食前、寝る前、朝起きて祈る 貧しい人のこと考える 最近、愛を感じています 本当の愛がでてきている 8年前自転車事故で大怪我、大手術 両足固定された 詩34:18、20 「主は助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される」「主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出す」 事故当日、第9喜びの歌の練習の帰りに事故に遭いました 手術は8-9時間掛かりました この世から半分くらい絶たれたと思いました 人はどうして悪い思いをするのか サタンの決闘か イエス消してくれる 夫婦の愛から本当の愛を思う 入院中元妻が来てくれた 愛を無くし愛をもう一度手で繰り寄せ、もう一度帰らなければと思う イエス、子羊の婚宴で新郎新婦が天国に入れる 結婚大事にできなかった自分悔い改め、何とか天国にたどり着きたいです  

・長い間の皆さんとのお付き合い感謝です この年(98歳)まで全ての事でお世話になって生かしてもらっている 言葉で言えないほど感謝。

 

(11月)

・今夏は猛暑でした。コロナ感染で大変でした。私は今日まで生きた中で、老人が亡くなる人が多かったと思いました。保科たみ姉が集会に参加されることが喜びでした。2016年からたみ姉と礼拝を共にできました。私たちの参加を大変喜んでくださいました。 たみ姉の人柄、愛の深さに支えられました。司会、聖書朗読、感話を通し、神への信頼が厚い人と思いました。 老人ホームへ入る前に腕の痛みがありましたが、祈りつつ参加されていました。告別式で若い頃の微笑む写真を拝見し、信仰の先輩を天に送った今、たみ姉の信仰を継ぎたいと思いました。また、次の世代へ継承をしたいと思いました。天でご主人と共に主の前に居られると思います。

・読書からです。養老猛氏の本を読みました。養老氏は、細胞学者ですが、趣味は昆虫です。 人間は黒人、白人、黄色人種と区別しますが、人間は肌が薄い濃いと見た方が良いといっていましたが、本当にそうだなと思います。黒人、白人は、環境に適応して肌の色が変わったにすぎません。胃、腸などは一本に繋がっています。箇所により名称を付けました。

詩人の八木重吉氏は、90年前に亡くなりました。29歳の時、結核でなくなりました。 詩集を残されました。「願い」という詩があります。その中で「人と人と間を美しく見よう 私と人との間を美しく見よう」という言葉が心に残りました。私は、疲れている時、自分中心に見ています。人と関わりたくないと思ってしまいますが、人との関係を美しく見たいと思いました。

・先々週から、中田陽子様が参加されています。これからもずっと続けて来ていただきたいと思います。保科たみ姉が召されたことが悲しくて残念でたまりません。まだ、元気になって帰って来てくれるような気がしてなりません。たみ姉が仲良しでした元木ナカ子姉をも思い出します。天国で仲良く、私たちの礼拝を眺めていてくださるような気がして、そう思うと嬉しくなります。

11月26日は夫の森の命日です。生きていたら73歳です。召されて6年が経ちました。 歳が離れていたためか父の様で優しかったです。私に気を使ってくれ、私の方が我がままでした。命日の26日は、午前、好きだった三保の松原に最初に行こうと思っています。午後は、埋葬された市の愛宕霊園へ行こうと思っています。 夫とは、私が18歳の時に知り合いました。30年間、共に生活をしました。今、悔やむと同時に楽しい思い出が溢れてきます。現在、内職の仕事がある時は、頑張って1日100~200個仕上げています。夜、ベランダに出て夜空をぼんやりと10~15分眺めています.幸せだなと感じます。そして就寝前、聖書読み祈って眠ります。 

・今日は良い天気与えられました わたしの長男・清の卒業の感話、「人は何のために生きるのか。甘えれば甘えるほど罪を犯す。素晴らしい自然、尊敬する先生、多くの友に感謝せずにおれない。 神は真実であり、耐えられないような試練に合わせることはなく、逃れる道をも備えてくださる。神はいつも僕をどこまでも見守ってくださる。大きな希望を持ち絶えず本物を求めごまかしのない生活を送りたい」 

清は卒業後、東京のデザイン関係の学校に進学。3年間通い卒業。同級生の親たちの紹介で阿佐ヶ谷の春風学寮に入寮。この寮は道正様夫婦が創設された。清は、毎日新聞広告部に3年間在籍。その後、スポーツ紙の編集に従事。その時、サッカーワールドカップ月刊誌の編集に抜擢され、月刊誌を始める。5号まで発行した時、腕に違和感を覚えた。そして、慈恵医大で手術したが、術後は体が思うように動かず諦める。その後、自分で仕事見つけ独居生活続けている。

 

父親ながら、あの体でよく頑張ったと思う。学園に入学させ神様に感謝。学園は、友人の西川兄、石原兄に勧められた。このこともあり教会から離れ、無教会の石原集会に入れて頂いた。

 

(12月)

・今年もあと26日間、時間の流れの速さを感じる。今年、心に残った事を話します。

〇集会としていろいろな頃がありました。中田姉が11月から清水聖書集会に参加され、うれしい限り。「新しい人が参加されますように」と、集会員全員が熱望していました。特に齊藤さんは、司会の当番の時、感話で、お祈りで、また、メールの中で願っていました。祈りは聴かれる! 今、集会員全員が実感しています。

〇コロナ感染の不安の中、小田夫妻が沼津から遠路、自動車を運転され、渋滞の時は1時間半以上掛け、自ら運転されて来ていただきました。何気ない事のように2人を迎えていますが、実際には相当な犠牲を払っておられます。改めて感謝致します。

〇コロナ感染の中、通常通りの形で、礼拝所で相見え、共に聖書の話に耳を傾け、共に主を賛美出来た事、改めて感謝致します。今年最後の礼拝、12月26日、皆さんで一年の締め括りの礼拝、一言ずつ、神様に感謝の気持ちを捧げたいと思います。

〇寒さが少しずつ、きつくなってきました。寒さ対策をして今年1年最後まで健康で過ごせますよう注意してまいりましょう。

・集会に参加できて感謝です。小田兄より「人は誰でも生きること、死ぬこと、この2つの大事業がある」と言われその通りと思いました。東日本大災害の被害を思い起こしますと先々のことは全く分らないなと思います。1970年代、私の20代は、経済右肩上がり、働いていれば普通の生活ができました。あの東日本の災害を見て、いつ何があるか分からないなと思います。コロナもそうです。何処にでも行ける世の中、コロナがあっと広がってしまい驚きます。豊かな地域も貧しい地域も。予測不可能な災害に直面しますと復活の希望を思います。小田兄の講話の中で紹介されたパウロの言葉を思い起こします。コリント第一15:17「それは、人々のうちの残った者や、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになるため」

これは私達の信仰告白ではないでしょうか。信じていけば力になる。人の細胞は600億と言われています。古い細胞は新しいものに。上手くいかないと癌になる。我々自身も少しずつ変わってきている。祖母50代でも長いと思っていたのに100歳まで生きるなんて思っていませんでした。神は何時までも私たちを守ってくださることを信じて生きていきたいと思います。

・今年最高にうれしかった事は、藤枝市から中田姉が毎週参加されたことです。今朝、ラジオから衝撃事件の様子が流れていました。大阪で火災が発生し、24人死亡。また、俳優で松田聖子の娘である神田さやかさんが34歳の若さで自殺したとの事。12月8日市民クリスマスが開催され参加してきました。歌手でクリスチャンのアントニオ古賀さんのコンサートです。80歳を過ぎでいても声がよく出て素晴らしかった。保科たみ姉が召されたことは本当に悲しかったです。毎週礼拝を共にされたのに残念で仕方なかった。天国で元木ナカ子姉と共に清水聖書集会の思い出を語っているのかな。私の好きな聖句「いつも喜んでいなさい 絶えず祈りなさい 全てのこと感謝」 感謝することが神への最高のプレゼントかなと思います。

 

<12月26日の感話会>

・来年の1月20日に98歳になる。そろそろ皆さんとの交わりの終わりか。週2回の訪問介護、週3回リハビリサービスを受けているためでしょう集会参加できています。 小田兄の話も聞ける。しかし、驚くほど脳の低下を感じています。皆さんの世話を受けていると感じている。小田兄の話よく分かり感謝です。

・無教会に何十年と在籍し離れ、再びこの集会に呼ばれましたが、後ろめたかったです。 最初、下田市に住む稲葉姉と無教会の集会に参加しました。独立伝道会事務局の小舘姉と電話で「伝道会を退会したい」と伝えました。その時、自分に正直になれたなと思いました。数日後、西澤さんから電話いただき、お宅にお邪魔させていただいた。 自分でも不思議 で、何でそういう気持ちになれたかわからなかった。聖書を学ぶと疑問が沢山ありすぎて…。小田兄の話に「聖書の学びはこの時しかないかも」 贖いの信仰を与えられるかは自分の努力ではない。自分のできることをしよう、後は考えない。夏からウォーキングしています。 集会に参加出来るよう体力を考えて居ます。ストレス感じずに、ストレスを感じないでいます。齋藤さんが沢山祈ってくださっていた。感謝です。「全ての事に時がある」ことを実感しています。家庭菜園をしていて、オクラの種がなかなか目が出ません。時期が来ると目が出てくる。時があることを植物で教えられました。

・ずっと礼拝を開催できて感謝です。たみ姉が礼拝に出たい気持ちに愛情を感じる  感謝できる事に感謝です。

小田兄の「御破算に願いましては」の言葉が心に強く残っています。イエスの十字架により「ご破算に願いまして」天にいきたいです。たみ姉の信仰は神により頼む、何時も神により頼んで生活しました。自分はどうしようもないから、神により頼むことを大事にしたい。  御言葉を覚えていきたい。祈る相手がいることは有難いです。コロナの中で友人と会えない中、祈ることが出来ます。イザヤ30:15「静かにしていれば救われる 力を得る」この御言葉に支えられています。 

・清水教会会員です。私と清水聖書集会との関係ですが、秋に駒越に今井館新築 しましたが、祖父が以前の今井館の設計者です。取り壊す前に見たかったがコロナ禍で無理でした。来年秋に集会所ができるそうですが、その時はお邪魔しようと思います。父は内村鑑三の集会に行っていたようです。無教会派の聖書集会が清水にあるのが石原新聞店でした。ここにも時々忘れた頃にやって来ました。前澤姉に合うのが楽しみでやって来ました。

・月1回小田兄の話、再び前澤の参加、中田姉の参加、そしてコロナ禍の中でも礼拝守られている事、全てに感謝です。保科姉が召されたことが一番悲しい。祈り、感謝を大切にしていきたい。 ロマ書14の「信仰の弱い人を受け入れなさい」の御言葉が好きです。 好きな讃美歌は262番です。一年間楽しく多くの兄弟と礼拝守られて感謝です。

・たみ姉が火葬場で焼かれた時、自然と涙が出てきました。

・反省です。マタイ福音書に「偽りの誓い立てるな 誓ったことは果たせ 祈る時偽善者のようにあってはならない」とありました。出来ていない自分は反省しなければならないと思います。

・老人の不自由さを感じません。神の平安の中に入れて頂いている様に思います。ここ清水聖書集会に神が帰らせてくださったと思っています。たみ姉が召されて淋しい。教会の間にちょっとと思うことがあって再びここに。清水聖書集会のポスターを張っていた時、康子姉が来ました。話し合いをしてあげた方が良いのか、神の導きか、と考えています。 

・聖書の御言葉の捉え方、証しについてですが、皆さんのお話を聞いて捉え方、愛の形を知り有難い。私は、元に戻りたい、初心に帰りたいと思う。私は古いタイプで、筆と短冊で聖書短歌を作っています。感動した聖書をチェックします。敵を愛せない人のため祈ります。赦します。これが自分の一番の課題かと思っています。天国へ行くためには人を憎んではいけない。再臨主、世の終わりは、何のために来る?来てどうする?知りたい。 ルカ17章 神の国はあなた方のただ中にある。人間の夫婦の理想は家庭から。個人の救いは自分一人では完成できない。一人でなく家庭単位。アダムとイブがそうです。神の国に接ぎ木されなければ駄目、再臨の時慌てないようにしたい。10年以内に元に戻りたい、祝福された家庭を築きたい。孫にまで及ぶよう私から3代確保したい。

・今年も多く休みましたが皆様に祈っていただきありがとうございました。コロナ 禍で安心して生活できない。夏の暑さに弱く、今年は特に衰弱。一番考えさせられたのは 寄り添うとはどういうことか。ある人「こうした方が良いよ、生活支援を受けたら」とのアドバイスが有難かった。私と同じように体が弱い教会の方から「大丈夫ですか 元気になるといいですね」この声掛けがわたしの魂に入って一番力になった。これが寄り添う事だと思った! 愛真高校では保健室で働く。生徒は色々な悩みを訴えた。「こうしたら…、元気出してね…」 生徒の心に寄り添ったのか… イエス弱い人に寄り添う方と改めて思う。クリスマスがある。助けを与えてくださる。沢山の恵み頂いた宅配便が届いた。元木さんから菓子、これは神の恵みでした。

・沼津に来て5年経つ。この地に住み着き信仰を糧とせよ 詩編37:3「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ」 

友人、主の山に備えあり その地に自分の必要な物は供えられている。主の祈りに「われらに罪を犯すものを赦す如く、我らの罪を赦したまえ」

讃美歌121 私の父は大工 友なきものの友となりて 敵を赦ししこの人を見よ クリスマスは宇宙全体の祝日、被造物全体の祝日です。