ヨハネによる福音書17:1~26 2022.11.13
西澤正文
テーマ:わたしイエスに栄光を与えてください(1.5)
聖書の意味する栄光とは何か? 分かっているようで分からない、掴みどころがなく漠然としています。よく「神の栄光を現す講演会となりますように」「神の栄光を賛美することが出来ますように」と言う祈りを聞きます。
イエスは父に向い天を見上げ「私が世を去る時が来ました」と言われました。もう直ぐこの世を離れるのです、あなたの教えを話してきましたが、私は受け入れられず、人々に殺されるのです、今まであなたの子として精一杯、働いてきました。惨めです。悲しいです。辛いです。目の前の弟子たちは、理解し、ついて来てきてくれていますが、もう直ぐ、群衆を恐れ私から離れていきます。悲しい、惨めです。完全な敗者です。
イエスは、「世を去り父のもとに行く、すでに世に勝っている」(16章)と言われましたが、一抹の不安が顔を覗かせ、今、切々と神に祈っています。
それは「あなた・神の栄光を表すため」であり、そのことを完全に成し遂げることが出来るように、私にも栄光を与えてください。栄光は神様お一人のものであり、また、世界が造られる前、わたしがみもとで持っていたあの栄光であります。世界が造られる前に、御一緒にいて持っていましたあの栄光で、今、わたしを輝かせてください、と切々と祈られました。イエスの心底からの祈りが切々と伝わってきます。
▢むすびとして
「私に栄光を与えてください」の祈りは、死が迫って来たイエスの弱さを露呈されたと受け止めるのではなく、人間味溢れた姿であり、大変身近に感じられる姿を現された、と受止めます。この弱さ…人々を思う愛の深さ、離別の寂しさ、イエス無き後の心配…を吐露されたことにより、かえって親しみを覚えます。「友なるイエス」を感じます。
このイエスの父に対する赤裸々な祈りのように、私たちも、神に対し、キリスト・イエスに対し、心の中の思いを包み隠さず、本心、本音を打ち明けた祈りをすることが大切です。父である神は、そのような祈りをすることをしっかり受け止めてくれます。いえ、そのような本音の祈りを待っておられます。