コリントの信徒への手紙Ⅰ13:1-13             2017.7.9
テーマ:神の愛はいつまでも絶えることがない(8)
 13章の本文の前で「最高の道を教えます」と説くパウロは、これから、並々ならぬ重要なメッセージを伝えるので、しっかり聞いてほしい、と語った。
▢1-3 愛がなければ、全て無益
 人の、天使の異言があろうと、預言する賜物、神秘、知識に通じようと、山を動かす程の信仰があろうと、そして、財産を貧しい人に提供しようと、命を差し出そうと、愛がなければ、騒音に等しく、無に等しく、無益である。
 人のために役に立ちたいと固い意志、温かな思いで一生懸命に行動したとしても、その人の只の自己満足に終わる。人がどんなに一生懸命努力しようと、愛(神の愛)がなかったら全て意味がない。愛は、人間が努力して為し得るものでない。神の愛がなければ無である。神の愛は、単なる相互の愛情でなく、報いを期待せず、自己を犠牲にしてまで相手を愛する愛。私たちはキリストの愛を受けるにふさわしくない者であるが、それでもなお、キリストは愛してくださる。キリスト者も同じ愛を持って、他人(隣人)を愛さなければならない。
▢4-6 キリストの愛
 「愛」を「キリスト」という言葉に置き換えると、解りやすい。キリストの愛についてマタイ福音書から学ぶと…… 忍耐強い(27:27-31)、情け深い(9:35)、ねたまない(26:39)、自慢しない(6:1-4、6:16-18)、高ぶらない(ルカ18:9-14)、礼を失わない(10:11-12)、自身の利益を求めない(20:20-23)、苛立たない (5:21-22)、うらまない(18:21-22)、不義を喜ばない(21:12-13)、真実を喜ぶ(ヨハネ14:6)
 簡潔に整理すれば、無私……十字架に架かる、正義(平等)……隣人(万人)愛、そして信頼……弟子、人々、であろう。
▢7 神の愛
 神の愛は、すべてを忍ぶ、すべてを信じる、すべてを望む、すべてを耐える。再臨・裁きを先延ばしし、多くの人の悔い改めを待つ(ロマ2:1-11)ことからもそのように理解できるように思う。
▢8-13 愛は絶えることない
 コリントの教会には、様々な賜物を持つ人がいた。そして自分の能力を誇る人々に対し、パウロは最も優れた道、「最高の道」を示そうと、神の愛を説いた。私たちに与えられた賜物により、何ができるかということでなく、何を与えられているか、を説いた。愛がなければ、無益であり、何がをするその前に神の愛を知り、その愛の中にたたずみ、御恵、喜びをいただくこと、このことが大切と教えられた。
 御霊のすべての賜物が廃れても、信仰、希望、愛は残る。その中で愛が最大であるのは、愛。愛は神と人とを結びつけるものであり、キリストの十字架を示すものだからである。
▢まとめとして
 私たちにとり、神が与えられた最も大きなものは、愛。こんなつまらない私にも、キリストの十字架で赦し、召し、清め、用いてくださった。このことで私たちは喜ぶ。それだけで充分である。日々、十字架を仰ぎ見て、自分の罪を示され、罪に泣き、罪を赦される。悔い改め、善をしよう、そう思っても為し得ない罪まみれの自分がいる。現実はその繰り返しである。パウロは、ロマ7章で醜い自身の姿を振り返り、切々と訴えられた。それでも十字架のイエスにより無条件で許されている。神、キリストを信じる信仰により、罪を赦され、恵み、喜びを与えられている。この恩恵を忘れず、感謝して歩みたい。