コリントの信徒への手紙Ⅰ2:1~16        2023.12.10

小田弘平

   ここではパウロが自分の挫折を振り返りながら、神から示された福音の真理に立ちかえろうと自分と戦っている自分を告白している。

 どのような挫折だったか。パウロはギリシャのアテネでギリシャの人々に福音を伝えようとした。このときギリシャ人の考え方を尊重して彼らの哲学を用いて神の福音を伝えようとした。しかし惨めな敗北におわった。イエス・キリストが復活したことを伝えると、彼らは「あざ笑って立ち去った」のである。神の福音の核心である「十字架につけられたキリスト」の真理を踏みにじられた。パウロは自分の弱さに泣いた。

 パウロはアテネから大都会コリントに来たが、コリントでもアテネと同じように神の福音を踏みにじられるのではないかと、戦々恐々としていた。「私は衰弱していて、恐れにとりつかれ、ひどく不安でした」とまで語っている。

 しかしパウロは「霊と神の力」による宣教という原点にかえった。その結果、コリントでの伝道は実りを生んだ。パウロは福音の原点にかえって人々の罪を指摘し、あなたがたの罪のためにキリストは十字架にかけられたと断言した。この言葉はコリントの心ある人々を一人また一人と目覚めさせた。神の力が働いたのである。

どうして伝道が成功したか。

 

 パウロの宣教は人の知恵によらず、神の力による宣教であった。つまり正面突破の伝道が成功したのだ。パウロは「隠されていた、神秘としての神の知恵」を語った。なぜ「神秘」というのか。

 十字架にかけられた敗北者であるイエスが復活されたのだ。敗北者が勝利するという逆説が神の真理だった。文字通り「隠されていた神の知恵」である。しかしこの知恵を理解することは難しい。神の力である聖霊によって、私たちに教えてくださる。しかし神の意思を認めない人(自然の人)はそのようなことは理解できない。キリストを着る人だけが「主(神)の思い」を知ることができる。

 しかし、「自然の人」も主イエスとの「出会い」によって(聖霊の働き)によ

り福音の真理を知る時が与えられている。パウロの失敗はこのことを教えている。私たちのような者でも神はイエス・キリストの十字架を通して福音の真理を教えられたのである。その結果、「キリストの思いを抱いて」喜びをもって生きている。