ヨハネの手紙Ⅱ 1:1-13       2022.6.19

西澤 正文

テーマ:キリストの教えを超え、とどまらない者は神に結ばれていない(9) 

 手紙は、紀元80年後半から90年の初めころ書かれたと言われています。紀元33年、イエスが地上を去り、2代目、3代目の人達が信仰を継いでいます。従って、教会が出来て間もない頃です。教会は、まだあちらこちらにある状態でないため、教会の孤独感があったと思います。

 ですから、この手紙の目的は、互いに愛し合うこと、真理の道を歩むことを教えています。それに加えもう一つの目的は、当時、イエス・キリストは肉体をもって地上に誕生したことを否定するグノーシス派が勢力を拡大していたため、はっきりと拒否する態度をとることも教えていたと言われています。ヨハネの心配する親心が滲む手紙です。

 父である神の一番の望みは、教会・集会に集まる子たちが互に愛することです。従って神の望む愛は、単なる人情的な愛でなく、神の御旨を実行する子たち=兄弟姉妹が、互いに一致しなければなりません。

 「さて、婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。」(5)初めから持っていた掟とは、旧約時代からの教えです。

 「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」は、申命記に登場しますが、マタイ、マルコ、ルカ

 

 

の3つの福音書に登場する「最も重要な掟」の第一の掟です。第二の掟「隣人を自分のように愛しなさい」は、レビ記に登場します。

 しかし、当時の異端者であったグノーシス派は、自らが信ずる信仰により、キリストの教えよりも優れていると主張していました。このような者は、キリストの教えを「越えていく者」すなわち「とどまらない者」であって、神を持ちません。これに反しキリストの教えにとどまる者はキリストを持ち、父を持ちます。小賢こざかしくキリストの教えを否定し、自らそれ以上の信仰を有つことを主張する者は、キリストを有たず、父をも有ちません。

 ヨハネは、依然とした言葉で戒めます。異端的教理を信じ、これを宣伝する伝道者に対し、キリスト者は隣人と交わるような態度に出てはならない。「家に入れてはいけない、挨拶してもいけない」。 この様な態度に出ることは、一見愛のない行為と思われますが、実は、これにより信仰の敵と自分との間に、一致があるように理解されることを防ぎます。ですからヨハネは「家に入れるな、挨拶をするな」と命じたのです。

▢結びにかえて 

 「キリストの教えを超えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません」この言葉を忘れず、私たちも、これからもしっかりとキリスト教信仰を信じていきましょう。ブレずに真理を守っていけるよう、励まし合い、協力し合い、そして何よりも祈り合いながら進んで行きましょう。