ルカ6:27-49                   2018.5.6
テーマ:父が憐れみ深いように、あなたがたも哀れみ深いものとなりなさい(36
 神の教え、イエスの愛は、人を決して分け隔てしません。すべての人を対象とし、全ての人を平等に愛します。イエスは全ての人のために十字架に上られたのだからです。何故なら、神は、天地万物を創られ、人を御自分にかたどり、地上のすべての人を、一人ひとりねんごろに創造されたからです。従って、一人ひとり皆、同じ価値を持つ存在であり、神により創造された人同士が、いがみ合い敵対関係にあることは、神のみ旨に反するからです。 
 しかし、私達は中々、憎む者に親切にすることができないのが現実でもあります。どうすれば、憎む心が消えるのでしょうか。我々の身代わりとなって33歳の若さで十字架に架けられ血を流され天国へ召されたイエスの姿を常に生活の中で思い浮かべ、見詰めることでしょう。イエス・キリストが私のためにどんなにしてくださったかを思えば、イエスは他の人にもしてくださったと思うことができます。
 私たちは、常に自分自身の本当の姿、心の内面を見つめることが必要です。どろどろとした罪だらけの自分自身の本当の姿を一時も忘れない小さな者でありたい。そこから謙虚な心が生まれ、他人を裁くことに躊躇する者に生まれ変わることができると信じます。
罪人の頭であり、罪深く弱い小さな自分自身であることを忘れない人間でありたいと切に願います。その秘訣は、繰り返しになりますが、私のために十字架に架かり身代わりとなられた十字架上のイエスを目に焼き付けること、そのように思います。
 木が良い木であれば、自ずと良い実を結びます。私たち信者は、その結果について思い患うことなく、神に対する結びつきを正しく、強く信頼することに心を注げば、おのずと結果はついて来きます。たとえ地上で隠されていても、終わりの日に、良い木は良い実を結び、悪しき木は悪い実を結びます。神は常にわたしたちの姿を見ておられます。決して見落とすことはないお方です。私たち人間の心の裏側までお見通しです。
 信者は、終わりの日、裁きの日のために、この世で、今を生きています。目先のことにとらわれることなく、常に天国の事を考えて生活していきたいものです。「わたしたちの国籍は天国」にあります。小さな自分自身を知らされることは神・イエスキリストに繋がっていることでもあり、このことがクリスチャンの基礎であり最も大切な神との関係であります。
▢むすびとして
 どんな時にも私たちのところに来られたイエスを見詰めること、ここが信仰生活のスタート地点であり、また全てです。律法を守る旧約の世界からイエスがこの世に誕生し、私たちの近くにおられるようになりました。このことを知るだけで、もう恵みであります。 素直にイエスを信じること、これが福音であり、私たちの喜びの源です。