マタイによる福音書8章1-38    2021.10.17

西澤 正文

テーマ: ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい(15)

 イエスがファリサイ派の人たちから「天からのしるしを見せてほしい」と試みられ、「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるだろう」と言い残し、怒ってそこを去られました。

 緊張した雰囲気に包まれましたが、弟子たちはイエスの怒られた意味を理解しなかったと思われます。イエスから向こう岸へ渡ろうと声を掛けられたものの、イエスの憤慨された様子に心奪われた弟子たちは、パンを持って来ることを忘れ、そのまま舟に乗りました。その時イエスは弟子たちに「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種に気をつけなさい」と言われました。

 パン種とは、悪玉菌のようなもので周辺のものを腐敗させる働きのある事を意味しました。ガラテヤ書にも「わずかなパン種(=悪意)が練り粉全体を膨らませるのです」(5:9)とあります。

弟子たちのパンを忘れてしまった落ち度は、イエスの気持ちを感じることができなかった。イエスの心と弟子たちの心には、あまりに甚だしい隔たりがありました。イエスの感情は非常に激しいものがありました。心中にうずくまく鬱憤は、弟子に向って発せられました。ファリサイ派の人の不信と敵意に対する鬱憤は、愛弟子らの無理解のために爆発しました。

 

 

 

イエスの弟子達へのお叱りの言葉が連続しました。せめては弟子だけでもイエスがメシアであることを理解するだろうと思っておられたのです。二度のパンの奇蹟を弟子たちに思い起させ、数千人を養ってもなお多く余ったパンの事実を思い起させ、パンのことを思い煩うことの愚かさを示されました。同時に、それよりも重要なこと、すなわちイエスこそメシアであることを弟子たちに分かってほしいと切望されたのです。

 ファリサイ人たちの不信は耐えられますが、弟子たちの無理解は、イエスの大きな苦痛でした。だからイエスは「まだ悟らないのか」と、弟子たちへ悟りを促されたのです。 

▢まとめとして

   イエスが「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるだろう」と嘆かれました。親しい信仰の友が、次々と天国に旅立ちましすと、時々、一瞬でもよいから天国のしるし=風景を覗いて見てみたい願望に駆られることがあります。でもそれは、地上の人には叶いません。私たちにとって大切なことは、天国を見たいと願うのではなく、神を賛美し、神の栄光を讃えた兄弟姉妹が天国へ帰られ、地上に残された私たちも、信仰を失うことなく天国において再会する希望、喜びをもって生きることに他なりません。